逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

行って、帰って。

一段落したので書こう。あと九十九段落くらいあるけど。




発表の前日は、思いっきり遅く寝て、起きた時には発表、という風にしようと思っていた。
布団に入って、ガイラルディアとかいうMocoゲームのRPGをダウンロードして、3時までやっていた。
まあここんところ8時間睡眠だし、そろそろ寝ればいいかなと寝る。


朝起きたら9時だった。

「なんでこういう時に限って早起きなんだよ!!!!!」

朝ご飯、食えない。パンをひとかじりして終わり。
腹が痛くなってトイレへ駆け込む。
ゲームの続きをやる。
12時なりラーメンを用意してくれるもあまり食べられない。

「ああ、もうそろそろ発表が始まったころだな...」

ネットで発表は見ないと決めていた。番号が無かったらどんな行動に出るか予想がつかなかったからだ。せめてもの自制か。
思い切って昼寝をするけれど、すぐ起きてしまう。
外で物音がする度に郵便の原付(正確には90cc(黄色のナンバーは確か90cc以下)なので原付ではない)かと思って窓を見てビクビクする。
やつれきった顔で、どこからどう見ても病人で、毛布にくるまって、レタックスが来るのを待っていた。

16時ごろ見かねた親がネットで番号見てくれて、それでやっと解放されたね。レタックスが来たのは17時ちょっと前。遅い。3月10日の10時8分に本郷支店で引き受け、10時15分に最寄りの支店に到着している。午後指定なんだから、2時か3時には届けてよ。


11日は朝から車で駒場へ向かって、生協の住まいの相談会へ行ってきた。ザーッとブースを見て、一発で物件を絞り込み、下見に行って即決した。それでも2時間半、さらに仮契約に2時間かかった。


帰りがけに本郷へ。両親にこれが正門でこれが赤門でこっちが安田講堂で、これが僕が試験を受けた校舎〜と説明しながら、合格発表の掲示板を見る。ほとんど人がいない。閑散としていたね。8727人受けて3008人しか受からない。前日の盛り上がりはすごかったのだろうが、あの場ですら半分以上は落ちた人だったのではと思ってしまう。

改めて最低点を見て、よく受かったなあと。感触としては220〜230点で、センターが102.3点だから、よっぽど国語が良かったか、数学の部分点があったか、そんなところかなと。東大が部分点たくさんくれるのは経験的に知っていたので、めちゃくちゃに書きまくったのは確かだけど、開示が来るまで分からん。

家に帰って、自己採点をしてみる。英語、去年と同様リスニングは半分強、小説がかなり取れている。化学で思ったより間違っていて驚く。古文漢文は1問を除いてほぼ正解。ふむ。なんで受かったかやっぱりわからん。

翌日に諸々の書類を書いて(実は3月9日の時点で、何も手につかなかったので受かることを信じて書類を書いていた)、振込もすませて、今日出してきた。

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発表の日の夜に河合塾のチューターから電話がかかってきて、アンケートや説明会などを依頼された。受かればこうなることはあらかじめ告知されていたので、いくらかもらえることだし、はいはいと快諾。

ドヤ顔で受験を語ることになるのか、自分の経験をいかにも合格に必要なことのように語ることになるのか。



僕は、余裕で受かった人間ではなさそうだし、自信も無かったし、講師に言われたことはほとんどやっていないし、終わらせた問題集は1冊も無いし、テキストの復習は1学期の数学以外やっていないし、模試は放置したし、何一つ達成していない。一つだけ自慢できることと言えば、手洗いうがいだけは励行した。弁当を食べる前と、家に帰った時の。

だから、こうすれば受かるよ!!!だとか、英語はこうやるのが一番!!!だとか、言っても信頼性ゼロだし言う資格ない。


受かれば官軍。そんなことをずっと思ってきた1年ではあった。でも、この「受かれば官軍」という言葉には、受かった人間の言うことはそれらしく聞こえるけれども信じない方がいいよ、という意味が包含されている。


何回かこのダイアリーにも書いてきたけど、失敗談ほど役に立つものは無い。


断定はダメだよね。人それぞれだもん。唯一言えることは、「最低点以上取れば受かる」ということだけ。ということで、選択肢の一つとして、何か提供したいと思ってきたわけだ。



1年間の浪人記録。 http://河合名駅.com/


予備校の評価は合格発表の後に書いてはいけないと思っていたので、このサイトは2月28日から3月6日までの間に書きあげた。


河合塾名駅校で浪人するかもしれない人は是非見てね!!!!!!