闇サイト殺人事件の名古屋高裁判決
僕自身、法律や法学を勉強したことは無いし、それに関する本を1冊たりとも読んだことは無いので、法学的視点から見て、とても変なことを言っているかもしれないが、あらかじめ断っておこう。
ニュースになるような殺人事件が起こり、ニュースで取り上げられるたびに僕はこう思う。
もし、僕が加害者だったら...?
確かに被害者遺族は可哀そうだろうし、同情の余地はいくらでもあるのだけれど、僕は基本的に犯罪はその人だけのせいだと思わないので、どうして今回の事件は起こってしまったのか、と考えてしまう。
そうすると、必然的に、自分を犯人に投影するわけだ。
刑罰って何?何のためにあるの?
いつだってこの疑問に帰結するのに、いまだに自分なりの解答を見いだせていない。
法律で犯罪と定められている行為は、必ず何か損失を生んでいるはず。だからそれを補てんすることが、罪を償うってことではないのか?(保護法益ってこういうこと?)
物を盗んだら、その物を返すことだと思うし、けがをさせたら、けがをさせる前の状態に戻すことだと思うのだ。
刑務所に入ってもらっても困る。
経済活動ができないと、金銭で補償してもらえないじゃないか。刑務所内で作業したところで大した報酬にはならないだろう。
刑罰には犯罪抑止力があると思うが、それっていい迷惑だと思うんだよね。他人の犯罪防止のためにどうして俺様が罰を受けにゃならんのだ、と。
さて、今日テレビでは、闇サイト殺人事件の名古屋高裁の判決について報じられていた。死刑が無期懲役となったわけだが、
なぜここで被害者遺族が会見をするんだ?
遺族は極刑を望む?なぜ?
犯人が死ねば満足なの?殺された本人に聞いたわけ?
犯人が死のうが死なないが結果は一緒。
だったら死人が一人でも少ない方がいいじゃないか。
人殺しはダメだよ、そりゃあもう、人間の社会において、人間を殺すというのはメチャクチャだと思うので。
だけど、その刑罰を考えるのに、どうして遺族の感情を考慮する必要があるの?
遺族が「犯人が憎いので法律の手で殺してください」って言えば死刑になるわけ?
それって嘱託殺人じゃないか!
大切な人を殺された遺族が、犯人を殺そうとしている。恨んで恨んでそれはそれは憎いだろう。
判事さんは法律を勉強してきた人だから、安易な判決を下すことは無いと信じているけれど、
ところが、判事さんも人間。世論には勝てない。
その世論を形成するのは何?ほかでもないマスコミ。
僕は被害者がかわいそうという以前に加害者がかわいそうだと思ってしまうのだよ。
すべて犯人個人のせいにしておけば満足なんだろ?
僕は環境が悪いと思うんだけどね。例えば景気が良ければ物取りは減るだろう?
人を殺したら、せめてその家族を一生養っていくだけの責任は取ろうよ。
補償に使えるのはお金くらいだ、なぜなら他の物は量(価値)が測れないから。
無期だろうが死刑だろうが、何も生み出さない無意味な刑罰だと思っている。
自分の親族が殺されたら気が気じゃないからね、平常心を保てる時にこういうことを書いておかないと。
もっと勉強しなくちゃ。