逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

いしころぼうし

「いしころぼうし」は、確かかぶる(古語だと「かづく」か)と「まるで道端の石ころのように気にされない存在」になる道具だったと記憶している。
何かの映画で、皆でいしころ帽子をかぶった瞬間、姿が見えなくなって「あれ?みんなどこ?」と言っているシーンがあったはずだ。おかしい。

いしころぼうしは他人の意識に働きかける道具であると考えられるが、だとしたら、自分の存在を意識させた段階でいしころぼうしを被った場合、その瞬間にさっきまで存在していると思っていたものが存在していないように思えるのだろうか。

甲「じゃじゃーん」
乙『あ、いしころぼうし!』
甲「買ったんだー」
乙『へーかぶってみて!』
甲「うんじゃあかぶるね★」

この後乙は甲の存在を認識できない。

乙『あれ?甲どこいった?たった今まで話していたのに...』

これでは記憶喪失である。ではこうすればどうか。

乙『おーすごい、甲の存在が気にもならないよ!』

完全に意識している。

そもそも被った瞬間は目の前にいるのだから、そこにいることは分かり切ってしまっている。
決して透明人間になるわけではないので、視点を固定したままでは、甲に遮られて向こう側が見えないことが分かってしまう。

つまり甲がいしころぼうしを被った瞬間に、乙は横か後ろを向かなければならないし、甲がたった今いしころぼうしを被ったという事実を記憶していながらも、甲の存在を意識できない。

頭こんがらがってきた。


センター倫理やってて実存主義について考えていたらこんなことが頭に浮かんでしまった。
サルトルハイデガーなんか現段階で理解できる訳が無いんだからさっさと用語だけ覚えてしまえばいいものを。