逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

どうして国語の解答はこうも不親切なのか

問3の答えは 5 である。
「あああ」という部分と、「いいい」という部分が本文の解説の1と3に合致しており、これ以外に正解は無い。

1は、「ううう」という部分が誤り。
2は、「えええ」とあるが、これは言い過ぎ。
3は、「おおお」とは言い切れない。
4は、「んんん」とはるが、これは全くの誤り。

(ケース1)5を選んで正解した場合
「おっしゃあああああ正解だあああああ.....ん?正解を導き出した根拠が違う...」

(ケース2)5を選んで正解した場合
「おっしゃあああああ正解だあああああ.....ん?消去法で消した1の『ううう』の部分は別にあってて、『かかか』が違っていると思ったんだがなあ...」

(ケース3)5を選ばずに不正解の場合
「あああああれええええええ?????.....ん?選択肢5は『あああ』の部分がいい過ぎで『いいい』の部分が言い換えとして間違っていると思ってさっさと消したんだけどなあ...なんで合ってるんだ??」
(解説を丁寧に読む)
『...と書かれているが、これはあああのことであり、また...の部分はいいいの言い換えであるから、5以外に答えは無い(グサッ』
「ええええええええええそんなああああああああああ」



僕が普段の指針の一つにしている「成功例は何の参考にもならないが、失敗例はすべてが参考になる」とまさに同じことで、「なぜそれが正解なのか」はどうでもよくて、「なぜそれが間違いなのか」が最重要。
「違っているから違っている」という解答は何の役にも立たないの!

しかし解答なんて十人十色、添削でもしてもらわなければわかんないじゃん! 本当にそうか?
(ちなみに、国語の添削も解答作成の思考が書かれていない限り答えしか見えないのでダメである)


少なくとも努力を怠っている解答冊子が多すぎる。




とても簡単なことだ。モニター100人集めておいて、問題を解かせる。解き終わったら、どうしてその解答を選んだのか、長々と頭の中の考えを書かせる。
「この選択肢のこの部分が本文のここと一致しないので切った」とか「まさに本文のこの部分の言い換えだと思った」とか。

そしてそれを集計し、正解不正解にかかわらず選択肢ごとにメモ集めて検証する。そうすると誤答の思考パターンのデータが集まる。

そしてその誤答の思考のどこが間違っているのか研究して、書く。

意外と誤答の思考パターンなんて少ない数でまとまってしまうものだろう。少数派はさようならする。




これで「あんたの解答のどこが違っているのか」がたくさん掲載された解説付きの問題集が完成する。
国語に限らず、またマーク式に限らず有効な手法である。


あれ、これバカ売れするんじゃない??






伊藤和夫の英文和訳演習はこの点でかなり成功している問題集の1つだと言えよう。
少なくとも"予備校の実力講師陣"が書いているんだったら、経験的にどこでどういう間違った思考をしやすいのか、知っていなければゴミである。年末のゴミ収集は今日が最後である。早く出しに行かないと年を越してしまう。