逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

大晦日だよ!ドラえもんスペシャル!!

いつのまに3時間スペシャルじゃなくなったんだ。この調子じゃ2112年まで持たないぞ。2012年はドラえもん生誕-100周年という佳節なのに。なめとんのかテレ朝は。朝日新聞は左派だっけ。


さて、先日作った倫理のプリントを2周して過去問を解いてみた。

2011 2010 2009 2008 2007
81 86 81 80 84

プリントの到達目標である8割は達成できた。素晴らしい。

残りの2割弱の内訳は、プリントに載っていない青年期や中国思想の抜けが8点、2周しかしていないため暗記不足が8点くらい、そして「適当でない」の読み間違えが3点くらいとなっている。



昨日結局日テレの「日本No.1の頭脳王! 大決定戦!!」見てしまった。知識問題と計算問題が多かったか。
ピカソの名前をフルネームでってのはさすがにびっくりしてしまったが、「べらぼうに長い」ということは多くの人が知っているので「まあよく暗記したなあ」という感想か。太陽の質量は高校物理の知識で解けるし、どうせなら「ハッヒャー!」となるような問題(少なくとも大学専門レベル)を出してその力を見せつけて欲しかった。
ただ文系理系問わずかなりの知識量や計算ミスの無さ(これは東大理IIIの人だけか)には圧倒された。博学っていうか、教養があるっていうか。educatedっていうのか、learned(発音注意)っていうのか、culturedっていうのか、よくわかんないけど。

ただいけないのが、彼らを「天才」と呼んで神格化してしまっている点にある。別世界に置いてしまっている。これが今の日本のいけないところかもしれないね。
専門教育は仕方ない。そこに特化するための専門教育だから、それについて分野外の人が知らないのは仕方ない。無理。
ただ、一般教養と専門教育のボーダーをどこに設定するかでその国の教育レベルが変わってくる。
恐らく今の日本の状態では、数学理科に関しては、義務教育の中学レベルがボーダーを超えている。「石灰水にCO2を吹きこむと白く濁るんだよ」って言えば多分「へー!何それすごいねー!」ってなるよ。

知識を詰め込むだけ詰め込んだら、後はいかにそれを利用するかだ。「わかっていること」から「わかっていないこと」を導き出していかねばならない(仮に進歩を求めるのならば)。

これは研究機関である大学の仕事になるんだろう(臨床医は大学じゃなくて専門学校で養成すればいいと思うよ)。


ともあれ、勉強して何の役に立つんだって奴が大学を就職予備校化しているのでさっさと消すべき。

知識と知恵っていう対比がある。

知識を生かせないのは知恵が足りないだけ。でもそれはしょうがない。僕自身限界を感じている。


そういうときはさっさと就職して社会の役に立てばいいんだ。金を稼いで、楽しい人生を送ればいいんだ。

適材適所。研究者向きの人はしっかり勉強して、知恵を磨いて、何か素晴らしいものを発見なり開発してくれればいいし、バリバリの行動力とリーダーシップ、そして戦略と話術のある人は政治家や企業のトップに立てばいいと思うし、昼寝が得意な人は昼寝を仕事にすればいいし、みんなそれぞれじゃない。
別に積分ができなくたって、古文が読めなくたって、九九が言えなくたって、ひらがなが書けなくたっていいんだ。ただ行く場所を間違えるからおかしなことになる。

なぜ強要するんだ。

末は博士か大臣か、なんて昔は言ったそうだけど、まあ博士でなくとも、大学を出るということ自体が少なくともかなりの学識の持ち主の証明だった時代があったわけだ。
それがどういうわけか―どちらが先か分からないが―とりあえず大卒じゃないと仕事が無いだとか、ろくに勉強しないで学士の学位がもらえちゃうとかいう事態になってしまった。

授業もろくにうけない、テストも無いに等しい、入試も無いに等しい、学費だけ高い。ディプロマミルとどう違うのかな。








さて僕はこれからどうなっちゃうんだろうなー