逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

だいがくのじゅぎょう

月曜1限から5限までビッシリ。疲れた。昼飯生協は無理混みすぎ。

              • -


浪人してからずっと書こう書こうと思って1年書かずに終わってしまったので、今日書く。




何か大きな殺人事件などがテレビで放映されると、すぐ死刑死刑言う人がいる。裁判でもテレビになぜか遺族が出てきて極刑を求めてみたり、無期懲役とかになると文句言ってみたり。それを見て部外者が刑が軽すぎると文句を垂れる。

僕はこういう事件の報道を見ると、真っ先に加害者側の立場に立ってしまう。少ない想像力を目いっぱい働かせて、あれが自分だったらどうだろうとか、なぜこうなってしまったのだろうとか。

そして思うのが、誰でもああなりうるのではないかということ。

犯罪を犯罪者のせいにしすぎだと僕は思う。凶悪事件の類は特に本人以外の要因が多すぎると思うのだ。それは生育環境であり、社会制度であり、経済状況であり、人間関係である。その要因を取り除くことなく、全てを一個人(またはグループ)に押し付けることで、目をつぶっているだけじゃないかと。

単純に、人ひとり殺した犯人を死刑にしたら、死人が倍増するだけであって何一つ建設的なことは無いじゃない。
そんなことしても死んだ人は戻ってこないし、損害は補填されないし。

いったい刑罰は何のためにあるのだろう?

死刑存置と廃止で論議になるときに出されるのが犯罪抑止力。
でもこれっていい迷惑じゃないか。自分に課される刑罰は自分のためじゃなくて他人の犯罪を抑止するためだなんて。自分の行為はどうでもいいってことだからね。
それに、罰則を引き上げて犯罪を減らそうとしたところで、その犯罪が起こってしまったら何の意味も持たないわけじゃない。
抑止力は犯罪が起こる前には有効だけど、事後には無効だ。

暴力事件や強盗なんかで懲役刑になったとしても同じ。
ずっと疑問なんだけど、自由刑って何の意味があるの?
こいつ表へ出しておくと危ないから閉じ込めておこう、っていう理屈なら、それは刑罰じゃなくて一時的な措置の理由でしかないから違う。

人間の社会にあっては人間が一番大切なので、ここで更生させて社会に対して有用な人材となってもらい、与えてしまった損害を別の形で補てんできるようにするのがベストじゃない。

だけど実際はそうなっていないなあ。ちっとも反省しない人もいるだろうし、そもそも反省し終わっちゃっている人もいるだろう(例えば飲酒運転して人が3人死んだとして、刑務所に何年も入る意味があるとは思えない)。
単なる時間稼ぎのようにしか思えなくなってきた。

だから現行の刑罰なんて全部無意味じゃないかっていう結論に達したの。さっさと廃止してしまえって。






こんなことを浪人時代ずっと考えていて、法律法学をちょっと勉強しないといけないと感じたので、明日は現代法の授業を受けることにした。