逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

評価

今日はサークルのミーティングがあったので朝から渋谷に。終わってから、先日熱を出した時の診療費の精算に病院へ。
その後吉祥寺へ鞄を買いに向かった。

駅について、何を思い立ったか、映画館で映画を観た。久しぶりである。

終わってから、あちこち鞄を探して、結局吉田カバンのPORTERのブリーフケース(638-06262)を買った。
定価で買ってしまったので何となく損した気分だが。。。

途中でハンバーグ屋に入ったんだけれど、ちょっと高くて後悔してたら、それ以上においしかったので満足。


ふう、これでやっと明日から家に籠もれる。


              • -

昨日、夜食事に誘われて、近くの料理店へ。
東大生なんですよ、と紹介されると、隣に座っていた男性女性が、
「本物はじめてみた」
「人生の勝ち組だよ」
「税金安くして」
などと言う。

興ざめにならない程度に心底否定しつつ、世間の評価というものの存在を思い出した。
そしてその世間からの乖離も感じた。

1つは、自分はこのような評価を受けるような水準にはいないという意味での乖離。
もう1つは、評価が実際からかけ離れているという意味での乖離。
これら2つは同じことを言っているように見えるけれど、違う。ちょうど尊敬語と謙譲語のような関係だ。


それからしばらく考えていたんだけれど、評価ってのは、本人に伝えられるべきものでは無いのかもしれないな、と思った。
Aさんは凄いとBさんがCさんに言う。ここではAさんは自分の評価を知らない。
人間に限らず、飲食店や製造業者でも同じ。

評価されている本人は、自分の描く自分の道を勝手に突き進んだり曲がったりするだけ。

ところがこの評価が本人の耳に入ると途端におかしくなる。

学校の成績がそうなんだよなあ。なぜか本人に通知される。
模試の結果も、本人が見る。自分の位置を知りたいって。知ってどうするんだろう。


とはいえ、企業はレビューを集め改善に躍起になり、生徒は受験があるので位置を知る必要があるのが実際である。

でもちょっと、気になったので、メモ程度に。