逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

2012

2011の大晦日は、1年を振り返っていない。敢えて振り返らなかったのは覚えているが、それがなぜだったのかは忘れた。

2012は、書く事もあまりないので、1年を振り返ってみようと思う。
書ける範囲でね^^

1月

センター試験だろうな。
早稲田商学部の受験があったこと(これに受からないと、東京理科大と早稲田創造理工の2つに入学金計50万円を納入せねばならなかった)と、東大はセンターの配点が低くない(1:4である。20%を切り捨てる人間がどこにいるんだ)ことから、センター試験は絶対に9割、できれば830点は欲しかったのだった。
1日目が終わったときの絶望感はすごかった。
倫理、政経は2,3問分からなかった。国語が難しく感じた。英語まで難しく感じた。足切りは2日目に回避出来るが、前年より下がったらどうしようかと。
時間割変更のおかげで、家に帰るのは早かった。
2日目の理科にかなり救われ、数学もIAがとても簡単だった。家に帰って自己採点、一番最後に数学IIBを残して、750点くらいだったと思う。この時に初めて安堵をしたんだった。

2月

直前期はほとんど勉強が手につかず、焦りは増すばかり。河合塾の東大プレを受け、その日に足切り発表。770点。
早稲田の試験も思うように解けなかった。m13412の発見。
いろいろなことをやり残して、入試へ。泊まったホテルは昨年と同じところ。本郷へ下見に行き、誰もいない安田講堂前のベンチに座って15分ほど想いに耽る。
入試もまた、前年と同じ教室。仮面浪人していたらしい友人とまたそこで会う。
国語と英語は良かった。数学と物理がやっぱり解けなくて、「またか」と何度も思ったけれども、後1点でも取っておかねばと、いろいろと解答用紙に書き殴った。最後の科目が英語なのは精神に優しいね。やっぱり。
帰りの新幹線で早稲田に受かった事を知る。
予備校の人たちと遊ぶ。

3月

後期の勉強が大切だということは身に染みて分かっていたのに、講座を1つ取っただけでなにもせず。河合名駅.comオープン。
3月10日は死んだような顔をしていた。
でも受かった。本当にほっとした。ようやく安心を手に入れられたのである。
そこからは慌ただしかった。入学関係の手続き、アパートの手続き、市役所を何度も往復、河合塾で発表、あつた蓬莱軒、高校の同級会、ヨット部新歓、あっという間に時間は過ぎていった。

4月

諸手続、プレオリ、オリ合宿、入学式。
国際法研究会の新歓へ行く。
点数が開示されてショックを受ける。
家庭教師でいい案件がないので、塾講師に2つ応募する。

5月

ゴールデンウィークにひかり号で帰省。
勉強やばいな〜と思う。
ここには書けないけど、あることの優先順位を高く設定しすぎてしまい、未だに影響している。
5月祭はめちゃくちゃ忙しかった。

6月

TOEFLやろうと張り切って本を買うがやらず。

7月

授業も終わり、テストに向けて家にこもるが、食事をしなくなって、死にそうになる。
1日1食は当たり前、ついに動けなくなりかけた。

8月

夏休み。東京地方裁判所へ傍聴に行く。一切勉強しなかったけど、毎日のように出かけていた。上旬に帰省。
だんだん病んでいく。
帰省から戻り、新宿でパフェを食べる。
テスト勉強を焦って始めよう始めようとして、いろんな用事が入ってきてできず、結局25日かそこらから始める。
また飯を食わないで、ベッドと机を往復する生活をしていたら、ついに熱を出す。
8月は31日まであり、テストは3日から、この4日のありがたいこと。

9月

住基カードを発行。20歳を迎える。踊る大捜査線を観る。
財布が欲しくて蔵前まで買いに行く。スーツ用にカバンを買う。
点数開示の申請に本郷へ赴く。
忙しいのに模試採点のバイトをする。
塾の最終試験に合格する。

10月

成績発表。思ったより点は取れていたが、満足行くはずもなく、複雑。
意識が高かったのは1日だけ。一気にクズ度が増し、それに嫌気がさして病む。

11月

スペイン語二列寝ぶっち。ALESS大遅刻。
塾のバイトが始まる。
五月祭で、ある部屋を借り切ってある企画を実行する。
よくやったよなあ、いろんな人に助けてもらった。

12月

崩れた生活を再建しようと頑張る。でも、実験とALESSとスペイン語二列の木曜日のせいで土〜木が潰れる。
塾講師の方もだんだん面白くなってきて、やっぱり時間がない。





総じて、忙しすぎて覚えていない。




2013年は、しっかりと自分をみつめながら、一歩一歩やっていきたい。




まずは、ちゃんと思索をして、ダイアリーを書く。


書くぞう!