逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

文一受験生と東大法学部4年生に差はあるか

国公立大学前期試験真っ最中。

最中食ってる最中。



1年前・2年前の自分を思い出し、そのとき思っていたこと、1年後自分をどう描いていたかということを見つめる。

このダイアリーをたどるだけでも少し見えてくるだろう。



2012年の中盤から、かなりつらくなってきた。理想像とかけ離れすぎているのだ。それは理想が高いからかもしれない。能力を超えた理想は幻想でしか無い。
でも、ついに明後日の方向を向き始めた。留まっても、踏み出しても、どんどん離れていく。そのことにふと気がついたとき、憂鬱になる。



この1年何をしていたのか。



何もしていなかった、と言うのは簡単だが、そんなことはない。

得るものは無かったのか、そんなことは無いはずだ。

しかし、何か低下した、明らかに低下した感覚がある。それが元凶の一つだと思う。



それはどういうことか。






人間は成長する。それは経験するからである。






1年という時間、必ず経験をしているから、成長しているのは間違いない。

知識は増えたはずだ。何らかの技能も上がったはずだ。

でも、これは当然のこと。1年という時間を費やした以上、当然のこと。


これは「成長」では無い。「能力」の向上とは言えない。



もう少し簡単にしてみる。




1年で50のことを身につけた。
次の1年で100のことを身につけた。

これが「成長」。「能力」は上がっている。

1年で50のことを身につけた。
次の1年で30のことを身につけた。

これは「成長していない」。「能力」は下がっている。



二階微分しないと、「成長」したかどうか分からない。

2番目の例の場合、1年で30のことを身につけてしまっているから、「能力」が下がったことにも気づかない。



3年後の僕は、2年前の僕より、今日の僕より、確実に上を行くし、確実に進んでいる。

でも、それは「成長」していない結果かも知れない。