逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

未来について話しているときが一番楽しい。それも、なるべく否定的に話さず、多少の無理を承知で膨らませていくときは一番楽しい。

幼いときよりも、より現実的に、そして具体的に描けるから、楽しい。

これから先も、現実の中で、夢を描いてくのはきっと楽しいだろう。


ところが、夢を描き語るにはかなりの精神的時間的余裕が必要だと気づいた。





もうずっと、ずっと、ずっと、思索に耽る時間がない。精神的余裕がない。


浪人中は、毎日トイレに入る度に自分はこうなるんだと言い聞かせてきた。目標や夢を再確認してきた。たった10秒程度のことだ。
机に向かっていても、漠然と自分のキャリアや夢・目標への道筋を修正する。そんなことは常に行われていた。きっと多くの人もそうだろう。


浪人生は時間があるとか、暇だとか、言われた。でも決してそんなことはなかった。しかしそれでも、やはり、時間はあった。考える時間だ。



学生時代は、考える時間なのか、行動する時間なのか。


動くのは社会に出てからで良い。むしろ、どう動くか、今考えねばならない。

しかし、動いてみないと見えてこないことの方が多いかもしれない。

両方同時にできるだろうか?

無理だ。




先が見えない上に、目の前の課題もこなせない日々が続いている。
僕はどこに向かっているのか、どこに向かいたいのか、日に日に分からなくなっている。


目隠しして、一歩ずつ回りながら歩いている。



常にキャパオーバー、加えてキャパも下がり続けている現状。



どうしよう。





弁理士試験の受験票が届いた。