逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

100,000

ダイアリーのページビューが100,000を超えた。

実際に読んでいるのは100人くらいだと思うが。このカウントおかしいと思うんだ。

YouTube見ていたときに出てきたYou are the 999 999th visitor congratulations you won!!!を思い出すね。

このページの右側には、リンク集のコーナー?がある。某所で知り合った人のブログと、東大受験をしていた人達のブログだ。

思い出すように一つずつ見ていったのだが、面白いくらい閉鎖閉鎖閉鎖。あるいは非公開に。

ブログ書いている受験生(とりわけ浪人生)は落ちる。それでブログを消す。そういう話を何度も目にしたことがある。まさにそれが起こっているのだなと思って寂しくなる。

浪人すると言うことがでかくなるというか偉そうになる。分かった気になる。それは正解かもしれないし間違いかもしれない。でも自分の考えを持つことは良いことだと思うし、それをブログに書いたって良いではないか。でも落ちると、途端にそれが滑稽に見えてきてしまうんだろうな。

僕には消すと言うことができない。もったいない。高校の時にもらった夏休みの宿題リストのプリントもまだ持っているけれど、コンピュータのデータはそこまでかさばらないから消す必要は今時無い。

今恥ずかしいから消す、その思考は無い。僕も消したいものは山ほどあるが、いつその情報を読み返したくなるか分からないから消せないでいる。中学生の時にYahoo!ブログを大量に開設していたが、全て残っている。見たくも無い。

ふと過去のことが思い出せなくなったとき、あれは多分あそこに書いてある、と思うだけですっきりする。

このダイアリーは、今までやってきたブログの中では、恐らく2番目に長く続いているものだと思う(一番長く続いたのは、高校3年間を入学式から卒業式まで出校日はほとんど全て書き連ねてきたブログである)。
そして最も中身が濃い。思考垂れ流しとまではいかないが、結構まとまっている。おかげで、今となっては忘れてしまっている浪人時代の感覚記憶が、記事を読むだけでまざまざと蘇る。非常にありがたい。




3年前の5月13日はどんな日だっただろう。

体育で50m走とハンドボール投げ。
凄い追い風だった。授業は物理、古典がテスト範囲に達した。

体力テストの真っ最中のようである。風が強かったようだ。そして、中間考査が近づいているのにテスト範囲までたどり着いていなかった2科目に関して、その心配がなくなった旨が記されている。ところが情報はこれだけではない。この文章から、僕は自分が教室にいる情景、体操服を着て嫌々運動場を走っている情景を引き出すことができる。そして物理と古典の先生を思い浮かべることができる。恐らくこの時期は波動がまだ終わっていなかったのを急いでやり、電磁気に入るかどうかといったところだろう。物理生物クラスだったので生物の人達は別の教室へ移動し、物理も指定席へ移動し...僕は一番前でうとうとしていた。




高校時代なんて思い出したくもない部類の記憶だけれども、それにもかかわらず、あるいはそれゆえに、感慨深い。