逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

バスターミナルで降車ボタンを押すかどうか

東京に引っ越して861日、バスを主要な移動手段として利用している。
さすが東京、人口が多いだけに商店街も活気づいているが、バスもまた同様のヨウソウである。
東西は中央本線京王線小田原線京王井の頭線西武池袋線西武新宿線が平行とは言わないまでも走っており、バスはひたすら南北に駅と駅を結びながら住宅街を快走する。
年寄りが多いのは岡崎と変わらないが、昼間も夜も座席は大方埋まっている。

高校生の時もバスを多用していたが、岡崎は後ろ乗り後払い、東京(全部かどうかは知らない)は前乗り先払いで、当初は戸惑ったのを覚えている。

さて、高校生の時、僕が降りるのは駅前のバス停留所であった。
ほぼ間違いなく誰か降りる停留所であった。

降車ボタンは、押されることも、押されないこともあった。しかし運転士は必ず降車ドアを開け、今降りることを決めたとは思えない人数がバスを降りていったものだった。

バスターミナルではない停留所で降りたいときに降車ボタンを押すのは苦でも何でも無かった。むしろヒッシに押しさえした。
ところがバスターミナルともなると、事情は異なる。

1つ前の停留所を出て、「次は○○駅前」と表示が出た瞬間から妙に緊張した空気が車内に張り詰めるのだ。
明らかに降りそうな人達がたくさんいるバス車内。お前も降りるんだろ、と言わんばっかりだ。
しかし押されない降車ボタン。
○○駅前は終点ではない。乗る人がいなければ、通過してしまうはず。
あと100メートルで停車というころ、気の利いた誰かがボタンを押す。「次止まります」の声にアンドする。
ボタンを押すのが遅くなればなるほど押しづらさが増してくる。
ボタンを押したくて仕方の無い小さな子どもが乗っているときは心置きなくバスに乗れるというものだ。

東京でバスに乗っていても同じ駆け引きが行われていて、ビックリしている。地元にいたときは「結局誰も押さなかった」ことが2回に1回ほどあったが、こちらは最後の最後で誰かが押してくれる。僕も押す。


果たして、運転士は「どうせ誰か降りる」と思っているのだろうか。


4年前のある平日の昼間、僕はバスに乗って駅へ向かっていた。乗車率は低く、乗っていたのは数人だったと思う。
僕はボタンを押さなかった。彼らもボタンを押さなかった。

バスは停まった。ターミナルでは時間調整が必要だからだ。

乗車ドアが開いた。


しかし、降車ドアは開かなかった。




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問 本文中の片仮名で書かれた部分を漢字に直せ。
1. ヨウソウ
2. ヒッシ
3. アンド