逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

生活作文

金沢へ行ってきた。

写真は兼六園である。

石川県は初めてである。
金沢城兼六園を中心に自治機関や商業施設が密集していて、この一帯で用が済む構成となっていた。

少し前に名古屋・栄を訪れたが、どうも雰囲気が似ている。地方都市の形態にも定番があるのだろうか(詳しい考察はしない)。


さて、どこかへ行ったことを書くのはなんだか気が引ける。その事実自体が新しいために、洞察が浅くなるからである。

思い出すのが、小学生の時の夏休みの宿題、生活作文である。学年が上がる毎に枚数が増え、6年生の時は5枚は書かねばならなかったと記憶している。
当時は作文が大の苦手で、書くこと自体は嫌いではなかったのだが、何を書いたら良いのかさっぱりわからず、2000字なんて到底無理なのであった。
それこそどこかへ旅行でもすれば書くことがありそうなものだが、といつも思っていたが、出題者の意図はそこではない。小学4年の時の担任も全員の前で言っていたことを思い出す。日常の中で再発見をすることこそが生活作文の醍醐味である。しかし小学生の理解力ではそんなことは到底分からない。単なる苦痛でしかなかった。

今ならいくらでも書ける気がするし、そういう意味では成長を感じる。思えば、小学生の夏休みの宿題には高度のものが多い。あまりに高度なので、その意図を児童が見いだせておらず、また適切な指導も為されないので、単なる苦痛に終わる場合が多いのではないだろうか。

作文は自分を見つめ直すのに最適である。生活作文は、本人にとっても将来の財産になりうる。小学生のころ書いたもの作ったものを見ていると、当時の感覚が蘇ってくるが、今では持ち得ないものばかりである。そういう意味では、子どもの奇抜な発想という漠然としたものも、案外存在するものだと実感する。
同時にもったいないとも思うのである。あの感覚をどこかに残しておけたら。その一つが作文だろう(日記を書ければそれに越したことはないが、生活作文と同様の理由でなかなか書けない)。

夏休みに虫取りに行ったとか(僕は虫が嫌いなのでしたことはない)、おじいちゃんの家に行っただとか(僕は3世代同居なので行くことは無い)、これらは極めて特殊で、体験者である本人が埋没する。
従って、「8月8日、朝起きてダラダラしてテレビ見てご飯食べて夜寝た。」という生活こそ、作文にする価値があると言って良いだろう。ただし2000字書くだけの洞察力が無い。ドラえもんの学習まんがシリーズ「すらすら作文が書ける」には、「注意力」が大切であると書かれているが、当時はなんのことやらさっぱりであった。そこで担任その他の教員による手厚い指導が待たれる。模倣は得意であるだろうから、良い例などを示すこともできよう。重要なのは、小学生の時にしか持ち得ない視点、考え方を文字に記録しておくことなのである。

自由研究もそうだ。科学的に高度なことは要求されない。その発想と、十分な時間による独創的な追究こそが求められるのである。
後者については自然科学的手法をどこまで導入する手伝いをするかが極めて難しいが、仮に達成されないとしても独自のものを考えることに意味を見いだしたい。
従って、朝顔の観察日記を書くのは結構だが、そこに何らかの疑問が提示されなければならない。多くはいやいや観察日記を書いているのでは無いだろうか?
自然科学に留まる必要は無い。社会科学まで範囲を広げれば、小学生が持ちうる疑問など山ほどある。それを忘れさえしなければ、40日もある夏休みを存分に楽しむことができよう。

僕の自由研究を思い出すと、結果が見えていることばかりをやっていた。手法も極めて簡単で、考察はまったくしない形式だった。今思えば全くつまらない。木炭電池を作ったり、鉛筆の芯で燃料電池を作ったりしたものだが、だったら何なんだというところで終わった。

最も評価が高かったのは、イヤホンに紙で作ったメガホンを巻いてスピーカ代わりに使うというものであった。これは日常的に僕が使用していたものを、そのまま宿題に転嫁したもので、CADで何種類か設計し、それを組み立ててどれが一番良く聞こえるか調べただけである。考察もろくにしていない(できなかった)。ただ発想が良かった。まさに日常の中での着想であり、やる方も見る方も面白かったのであろう。

日常生活の再構成は、小学生と浪人生の特権かもしれない。