逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

スーパーサイエンス

ちょっとした研究会で発表をした。なんだか懐かしい気分になったので、掘り下げてみたい。


人前でこんな発表をするのは、実に高校生の時以来であると気がついた。最後の発表は高文連かな。

ちょうど時を同じくして、JSTの委託業者から、スーパーサイエンスハイスクールの追跡調査アンケートが来た。記憶をたどっていく。




中学校の課程をほぼ確実に修めただけの平凡な高校生である僕が、たいしたことをできるはずがなかった。ただ、様々な経緯で熱力学をテーマにしたかったというモチベーションがあって、スーパーサイエンス部に入部したのであった。

研究テーマを決めて、実験などをし、文書にまとめて、あるいはプレゼンテーションを作り、発表する。活動の骨子はこんなところである。今振り返っても異常である。つまり異常人こそが行くべきところであって、僕が行くところではなかったのである。これに気づいたのは、意外にも高校1年の6月くらいであった。


結局、視野なんか無いのであって、先行研究という概念すら存在しなくて、本来テーマなど設定できないはずだ。その上、顧問は運動部と兼部、基本は放置であった。

最も必要なのは、せめて高校の範囲の数学と物理くらい終わらせておくことだったが、部活としてそんなことをやるわけにもいかなかった。
読んでも分からない専門書を読んだフリをしつつ、デタラメでも実験は実験だということで実験を行っていた。

次につまずくのは、実験データの処理である。統計の知識は皆無、さらに原理が分からないから考察もチンプンカンプンである。それでも来週発表なんだと締切があったから、急いでWordやPowerPointと格闘するのであった。


この手のプログラムは受け身である。主催者が受け身である。教育ではない。チャンスを与えるのである。どういうわけかずば抜けている人間に、環境を与えるのである。平凡人は環境をもてあます。
この構図は、実は大学でも変わらない。


卒業してから気づいたのは、この事業のもう一つ――というかこちらがメインであるべきなのが――の目的は発表会と人的交流にあるということだ。

JST主催の最大規模の会議は、パシフィコ横浜を借り切って行われる。

発表者も聴講者も高校生、質問も高校生がする。


印象に残っているのは、佐野日大高校の重力加速度可視化マシン?の制作だ。プログラムを書いて、何かが光るようになっていたと記憶している。こういうのは突っ込みどころが無い。
もう1つは、フラクタル図形の研究だ。質問に立った高校生が「さっきから1.5次元とか言ってますけど、どういうことですか」と聞くと、なんと発表者は「これはこういうものです」と答えるので、収まらなくて、「次元って平面が2次元で空間が3次元でしょう、1.5とは何なんだ」と質問の調子が粗くなり、最後は司会者に止められて終わった。

そして最も問題なのはただただポスター発表を回り、口頭発表を聞いているだけの僕で、いずれの研究も何を言っているのかサッパリ分からないのであった。興味も無いし、知識も無い。質問しろと顧問からは言われるが、「すみません、サッパリ分からないので全部もう一度説明していただけますか」という質問くらいしか、できっこないのだ。



あれから5年以上が経って、自分の専門分野の、それも研究会で、他の人の発表を聞く。内容をほぼ理解し、気になる点をいくつも感じている自分に気がついた。

順当な成長なんだろうなあ。



高校のとき身につけて、今でも役に立っていることは、ある。

徹夜でスライドを作ることだ。高校生のくせに徹夜でスライド作りをするというカルチャーがあるのだ。

あのとき散々言われたのが、スライドに凝るな、大事なのは内容、テンプレートなどもってのほか、である。おかげで未だに僕のスライドは真っ白背景に文字と図表が貼られただけのものだ。アニメーションは「アピール」しか使わない。




SSH事業のおかげで、僕はサイエンスの道に進むなという示唆を得た。これは文科省が多額の税金を投じて得た成果としては、十分なものだと確信している。