逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

講義の受け方

博士後期課程にもなって授業を1コマだけ取っている。オムニバス講義で,話を聞くだけで良い。評価は出席と,興味のある話題をいくつか選んで書く何本かのレポートによる。

文系も理系もまぜこぜの講義なのだが,何割かノートパソコンを持ち込み,スライドの文字をその都度打ち込んでいる人がいる。この光景は何度も見たことがある(大抵キーボードの打鍵音がうるさくて迷惑なのだ)。

話を聞いていれば良いタイプの講義(対になるのは,手を動かさないといけない講義)で,僕はノートをとらない。大学1年生のときは色々と試行錯誤したが,結局ノートをとらず,話を聞き,記憶に残っていることだけ残っていれば良いという考えに至った。


てんとう虫コミックス9巻に「ぼく、桃太郎のなんなのさ」という話がある。これが思ったより僕に影響を及ぼしており,行動規範の1つになっていると言って良い。
簡単に述べると,街の歴史を調べるという宿題を出されたのび太が,タイムマシンでチャチャッと写真を撮ってくれば良いと言って怠けているところ,のび太がいつ何が起こったのか調べていないと知ったドラえもんが,「n年の歴史を調べるにはn年かかる」(主旨)と指摘して,のび太が慌てるという内容である。

つまり,105分の話を思い出しながら追っかけると105分かかってしまうのである。ノートを取ったところで,後から見返すことは実際,なかったのである。見返さないノートに用はない。
講義資料がインターネット経由で見られるからと言って授業に出ないでいても,結局そのスライドを読むのに相当の時間を費やしてしまうということはよくある。

  • レポート課題に関しては,記憶に残っていることを頼りに書き上げる。
  • 試験がある講義に関しては,教科書を読んで問題を解く。

という方針を確立したのであった。


検索すれば何でも分かる現代にあって,記憶に残らないものは記憶する価値がない。すでに記録されているものを自分で記録する価値はもっとない。