逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

役に立つ・立たない論争

何年か前まで,張り切って役に立つ・立たない論争に参加していた(参加と言っても,インタネットの時代,特定のテーマで意見を述べるだけで,誰かが聞いていなくとも参加したことになる)が,最近は馬鹿馬鹿しくて放置している。そんなことを考えている時間があったら,皆,目の前の課題に取り組むべきなのだ。

ただ,考えるのを止めるということはできない性分なので,色々な意見を目にしては頭に蓄えているのだけれど,ちょっと考えがまとまったので書くことにした。

役に立つ・立たない論争とは

主に学術研究の文脈で語られる。ある研究テーマがあったときに,それを遂行し,得られるであろう結果が,何かの役に立つか立たないか,という問題である。

色々な人が好きなように語っているので,二択問題でありながらも実は多様な意見がある。

役に立つ,とは?

最も一般的で広く受け入れられているのは,直ちにお金儲けができることである。

ややせまく,技術者を含めた専門家の一部または全部で受け入れられているのは,技術的に重要な課題の解決につながることである。「これが実現すればあの問題もこの問題も解決する!」といった感じである。ただ,「あの問題」や「この問題」の重要性は一般人や分野外の人には分からないのである。

最も狭いのは,どの分野のどの問題かは分からないが,その解決につながりそうな感じのすることである。「○○の性質を明らかにした」みたいな話である。

役に立たなくてもよい?

役に立つべきだ,という立場の人も上の3通りの立場に分かれるが,さらに役に立つ必要がないという立場の人もいる。

これにも2つあり,1つは,本当に役に立たない,つまり学問の進展にすら寄与しない場合(問題Aが解けると問題Bが解け,さらに問題Bが解けることによって問題Cが解ける,という場合に問題Aを解くとして,そもそも問題Bや問題Cを解くことがあまり意味をなさない場合)も重視する派と,いやいや,学者・研究者というのは,学問の進展に寄与しない,やっても意味のなさそうなことはやらないものだ,という立場が考えられる。

で,どうあるべきなのか

知らん。好きな立場を取れば良い。税金を使って研究をしている以上ステークホルダーに説明責任がある,というのも一理あるし,偉大な発見は偶発的に起こるかもしれないからあれこれ事前に絞り込むべきではない,というのも一理ある。

言いたいこと

役に立つことが分かっている研究は,取り組んだ時点で手遅れである。

これはもう,当たり前である。役に立つと分かっているのであれば皆取り組んでいるし,最も広義の「役に立つ」研究であれば,金になるのだから企業がこぞって投資しているので,やはり手遅れである。

役に立つと分かった段階で既に研究が何段階も進んでおり,第一人者となっていることが重要だ。

インターネットで研究について調べる能力も乏しい学部生くらいだと,世の中の役に立っている技術に憧れて,研究テーマにしたがる場合が多い。殆どの場合,指導教員,いやその手前で博士課程の院生に「それはもう大変になってきちゃったからやめといた方が良いよ」と言われてしまうのである。たいていの場合,開発としては立派だが,研究にならないのである。

研究と開発の違い,というのは頻繁に話題になるが,とくに計算機科学や情報工学の分野だと境目は曖昧だ。僕が使っている指標は,「どうやれば実現できるか見通しが立つかどうか」である。

どうやれば良いのかサッパリ分からないのが研究テーマになりうる。僕も日々困っている。指導教員とのミーティングで頭を整理することはできるが,どうしたら良いのかは僕も教員も分からないのだ。大概,「さあ」「どうでしょうね」「やってみないと分かりませんね」という発言の応酬に終始する。

研究力が高まってくると,自明でない解決方法であってもなんとなく見通しが立てられるようになるらしいが...(でないとグラントの書類は書けない(と,言いたいところだが,グラントの書類は「既に終わった研究」について書くと言われているし,その通りであると感じている(実際には,全く真っ白の研究というのはあまりなくて,ある程度自力で進めて,面白そうな結果が見えてきたところで書類を書くのである。そうすると,ある程度結果が見えてきているので,その先の計画も立てやすいのだ;多分,博士課程の間に「ある程度自力で進め」ないと,常に金欠になるのではないか)))

「データをとってきて,頑張って前処理して,○○にぶち込んで,パラメタいじればまあできるっしょ」という感じのは研究とは言わない。日曜大工という言葉がピッタリだ。

ところで,僕は今,とても役に立つ研究をやっている。やる前から役に立つことは明らかであった。手遅れであったか,とんでもない。難しすぎて誰も手を付けていない問題に手を出してしまったのであった。これはこれで地獄である。

大学院生活5年(5年で修了できますように)も折り返しである。