逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

ベトナム人の英語が聞き取れない

大学教員の国際的人脈は,やってくる留学生によって測れるかもしれない。「よく来る」ところは大体教員同士が繋がっている。

僕のいる研究室は,1年のうち半分以上,1人はベトナム人がいる。誰かが帰ったと思えば,また誰かがやってくる。

僕が研究室に入ってから,これまで(多分)3人のベトナム人と滞在期間が被っている。そして,3人とも何を言っているのかサッパリ分からなかった。

一般に,英語でのコミュニケーションに難がある原因はたくさんある。文法が怪しいというところから始まり,単語が分からない,速くて聞き取れない,頭での処理が追いつかない,発音が悪い,耳が悪い(聴力の問題ではない),等々。

特にベトナム人の英語に対して苦手意識(苦手意識というと悲観的な感じがするが,言語学徒としては面白いので楽しんでいる)を決定的に持ったのは,

  • 1つの単語だけを
  • ゆっくり
  • 何回も

繰り返して発話してもらっても全く聞き取れず,こちらが同じことをしても全く聞き取ってもらえなかったからである。間違いなくこれは日本語とベトナム語の相性が悪い。

「訛っている同士で聞き取れない」と文句を垂れて終わるのではとても高等教育を受けた人間とは言えないので,自分なりに分析をする(プロパーな言語学徒であればたくさん手法を持っているに違いないが僕はそうではないのでそうではなかった)。

 

 

 観察してみると面白い。やはり一定の法則がある。

例えば,expressionという単語は,/espresn/と発音され(ここでのIPAは英語の音素),distributionという単語は/ditribjusn/という感じである。

音が落ちたり他の音になってしまうわけだが,ネイティブや印欧語母語話者にして英語がかなりできる人とは難なくコミュニケーションが取れているのである。

つまり,英語にとってtrivialな脱落であり,変化であるということだ。そして,日本語にとって重大な脱落・変化ということになる。

僕の感覚でしかないが(文献を示せる方はコメント欄に示して欲しい),日本語話者は母音が苦手だ。母音が違っているために話が通じないことはよくあるし,聞き間違えることもある。逆に,子音にとてもこだわりがあると思う。

そこに,英語が音節言語であるのに対し,日本語がモーラ言語であることが加わると,次のようなことが起こっているのではないか(全然違う,これこれこういう学説が主流だ,ということがあれば指摘して欲しい)。

例えば,expressionという単語は3音節である。従って,ex/pres/sionの3パーツの音がそれぞれとりあえず鳴っていれば聞き取ってもらえる。故に,exがeだけになっても別に良い(多分,「エプレスン」でも通じる)。

日本語話者の場合,3重子音・4重子音だと頭で分かっていても無理矢理分けてしまって,e/k/s/p/re/ssio/nという7つのパーツからなる単語であると脳内lexiconに記述されている。故に,kの音が落ちるだけで6パーツの単語になってしまうため,何の単語なのかサッパリ分からない。

この仮説に従えば,聞き取るためには抜け落ちた音を戻してやり,変化した音を戻してやれば聞き取れることになる。

そこで,最近はそのルールを自分の中に構築しようと試みている。

スライドと一緒に喋ってもらうと最高で,どの音がどうなったのかよく分かる。

最初の1文字目の音が落ちることもしばしば。bとpも曖昧で,paperって言ってるらしいのに/beba/にしか聞こえず5回聞き返した。phraseという単語は/bra/である(どちらも1音節なので印欧語族の皆さんには通じている...)。

こうした現象から復元ルールをいくつか作ったが,それだけで劇的に会話が成り立つようになった。とても面白い。

 

さて,

  • 訛っていようが関係なくガンガン話していく皆さん
  • きれいな英語は誰が聞いても聞き取りやすい

という2つの経験的事実によって,僕の中では,「片仮名英語でもなんでもどんどん話していけば良い」という考えと「発音は徹底的にこだわって練習していく」という考えが対立せず共存している。

ドイツ語圏やフランス語圏という,アジアから見ればよっぽど英語圏に近い世界の出身者でも,英語が下手な場合があり,アジア人がびっくりするくらい流暢にしゃべっていることもある。要するに発音は本人の興味と努力によるのである。

この興味というのが問題だ。今でも忘れないのが,中学の時,クラスに「borrowがボロウなのかバロウなのか分からんどっちだ」と発言している人がいて,多分どっちでもないんだろうなと思ったことである。それから6年を経て,発音の教科書を読みながら,/ʌ/, /ɑ/, /æ/を発音してみて,「おーそれっぽい!」と感動を覚えたのであった。