どんなに突拍子のない未来を想像できても,思想までは想像できないんじゃないか。
SFにせよ,超人的ななにかを主題とするものにせよ,マンガであれ小説であれ映画であれ,今現実には実在しないものや現象を想像して描かれる物語は少なくない。
近未来を想像して描かれた漫画などで,現代に至って予想が的中したものがあるとかないとか,そういう話題も時々出てくる。
予想を遙かに超えて現実が進歩しているということもある。突拍子がなさすぎて,実現に向けて世の中が進んでいるとは思えないものもある。
手からビームが出るとか,人間が簡単に空を飛べるとか,こういうのは余りにありふれているが,突拍子もないだろう。きっと最初は「神が手から光を出した」みたいな神話があったのだろうけど,それを書いた人は天才かもしれない。
僕はドラえもんで育ったので,ここから突拍子もなさそうなものを挙げてみると,「もしもボックス」はフィクションの中にフィクションを作り出してしまうのが意外だし,道路が方向自在の動く歩道になるベアリングロードも「そう来たか」と思ったし,「二十二世紀には台風なんか上陸する前に,消しちゃうんだ!!」というのも「いいなあ」と思った。
あまり意外な感じがしない場合は,何でも良いので意外な物や能力を想像してみて欲しい。
ここからが本題である。
どんなに突拍子もない発想で描かれた物や能力も,理解可能なのである。
「ダイコン」から2文字マイナスして「ラジ」をプラスすることでラジコンを生成する物体変換銃や,酒瓶が川を遡上し産卵できるようにする「コジツケール」がいかに想像を絶するものであったとしても,どういうものかは直ちに理解されるのである。
従って,想像して描かれた未来や架空の世界にしかないものを,誰もが直ちに理解できるのである。
未来や架空の世界においては,物や現象が現代の地球と異なるだけでなく,思想も異なるはずなのである。ところが,僕が見てきたかなり少ない数のフィクションにおいては,例えば政治体制にしても,民主主義か何らかの専制政治が行われるに過ぎなかった。もっと突拍子もない,訳の分からない政治体制があって然るべきである。
なぜこれができないかというと,単に思いつかないのもあるだろうが,思想は理解されないからだと思う。本当に訳の分からない思想を思いついて描いたら,受け手はついていけないはずである。食欲と性欲をひっくり返す(気楽に殺ろうよ)くらいが限界である。
例えば,物が先にあって,それを壊してなるべく細かくするのが良い社会とかはどうだろう。みんなテレビや冷蔵庫を仕入れてそれを壊して生計を立てている。そんな中で,世界で一番細かい粒子を求めて旅をするというストーリー・・・立ちはだかる様々な困難も,全て細かいほうが勝ちである。主人公より身長の高い敵はすでに負けである。ところが求めていた粒子を得るには自らも微小にならねばならないことが判明する!自らの身をシュレッダーに投じて細かくなり,人類最小となって崇め奉られるという感動の最後・・・・
う~ん,まだ理解可能なのでダメである。
理解可能性という点から捕らえ直してみると,「物」でも意味不明なものは作れなくないな。例えば,「アッアーアアをふいっとするクシャナンテ」は意味不明である。「アッアーアア」が何か分からないし,それを「ふいっとする」ことがどうすることなのかも分からないし,「クシャナンテ」も分からない。さっきのとくっつけてみよう。
この世界は,アッアーアアをグハッとするのが良い社会で,みんなアッアーアアをできる限りグハッとして生計を立てている。そんな中で,世界で一番グハッとしているピッポーを求めてアビャ~するというストーリー・・・立ちはだかる様々な困難も,グハッとして乗り越えていく。ところが,求めていたピッポーを得るにはノノンノンが極めてスラッとしていなければならなかった!そこで主人公はアッアーアアをふいっとするクシャナンテを手に入れ,ノノンノンをスラッとさせていく感動の最後・・・・
う~ん・・・
(ここで風呂を出た)