年の善し悪しは1年遅れてやってくる
大晦日に記事を書くのは,2015年以外,毎年やっているようだ。2015年末は何が合ったのか。卒業論文である。中身がスカスカのあれを書くのに,年末年始を費やしたのだろう。実際には,アノテーション作業を頑張ってやっていた。よく覚えている。
日本語の文章なので,結論を後回しにしてまずは今年を多面的に振り返る。
研究そのもの
年始~3月はとにかくACLに向けて論文を書いていた。指導教員は忙しく,僕の研究内容を完全に理解する時間がない。研究はつくづく孤独である。尤も,孤独でなければ第一著者を誰にするかで揉めることになるのだが。
5月に論文が落ちてから,大変だった。何もかも計画が狂った。調子が戻ってきたのは7月である。いくつかアイデアが出てきて,試しては上手くいかないということを繰り返していたとき,フランスからサバティカルで准教授の先生がやってきたのだ。この先生は第一著者で論文を書き続けている気鋭の研究者という感じで,早速僕の研究について議論に入ってきた。これまでもたくさんの人が色々な国からやってきて研究室に滞在し,去って行ったが,何ら僕の研究の足しになったことはなかったので,説明するのがおっくうだった。
僕の研究は堂々巡りになっており,Aをすべきだが,そのためにはBが必要で,BをやるためにはCが必要で,CはAが前提となっていた。その先生は,僕との議論で完全に研究を理解し(完全に理解するまで質問が止まらなかった;この姿勢は見習わねばならない),即座に「Bから始めるべきだ」と言ってくれた。
8月から研究が動き出した。いっちょハードワークをやってみようと思って,9月2日から,台風の10月12日を除いて,土日祝日も関係なく研究室に行き,平日は夜遅くまで残って実験をした。
驚くほど研究が進んだ。9月末には結果が出揃い,論文を書いていた。そこから加筆を繰り返して,11月末に投稿した。
論文に書ききれなかった結果があり,投稿先を探しているところである。IJCAIに出そうかと思っていたが,僕の研究は言語学っぽい部分が強いので向いていないかもしれない。
何より悔しいのは,ACLに出せなかったことだ。計算言語学をやっている限り,ACLには毎年出したい。しかし打算的になった。結果はあった(11月末に論文を書いているのだから)が,ここでrejectを喰らうわけにはいかないという判断をした。
実は,ACLに出すために裏でコッソリ別の実験をしていた。11月始めによい感じの示唆が得られたので研究室内で発表したところ,受けが良かったのでこれはいけると思ったが,ACLには間に合わなかった。
質問がいっぱい来たので筋は悪くなさそう
— ⃰நீப்பொ (@nipox25) 2019年11月8日
こうしたこともあり,すでに書けそうなネタが2つ,他にもやるべきテーマが2つほどあり,来年は4本は書けると踏んでいる。
政治的なこと
学振DCの面接の結果が1月10日にもつれこんで,胃の痛い正月を送ったのだが,無事に採用になった。これで多少箔がついたと思って,以下のようなことが起こった。
そして,こうなった。
で,こうなった。
今年は文部科学省のポンチ絵や,NISTEPの資料を読みあさった。
博士課程が魅力的になり,学生が我も我もと押しかけ,選抜が機能し,研究レベルが向上することを願うばかりである。
どのくらい減らすかというと,ちょうど僕が学位を取れないくらい減らすと良いと思う。
— ⃰நீப்பொ (@nipox25) 2018年8月24日
写真で振り返る2019年
駅は場所によって音が違う。音で場所を当てるという仕事をやって,herokuにデプロイした。
東京三大商店街(三大銀座)である十条銀座を歩いた。砂町銀座は何年か前に行ったので,あとは戸越銀座を残している。
変わりゆく本郷。いや,東京というのは変わり続ける街なのだ。あらゆる権力がその大きさを見せつけようと,好き勝手に街を壊し続けていく。某氏曰く,汐留がその最たるものだそう。
言語処理学会年次大会が,名古屋大学で開催された。行く気はなかったのだが,みんな行くというので急遽行くことにした。名古屋大学は名駅から遠いので,しかたなく八事で我慢した。
東京メトロ東西線・神楽坂駅に新しい出口が新設された。神楽坂駅は,A線もB線も北側のドアが開くのだが,なぜか車両内の「ドアどっちが開くの案内」は,神楽坂駅だけ,無しになっている。
大阪にある海遊館に行った。
高円寺にある餃子バーが閉店してしまった。移転先は,鎌倉。
あの赤坂飯店が軽井沢に?!
赤坂飯店といえば,安倍総理大臣がマスコミを懐柔するために食事をした場所として名高いが,竹橋駅の毎日パレスサイドビル内にもある。担々麺の人気が高いが,いつも炒飯を頼んでいる。
なぜ,軽井沢にあるのか。
フィレンツェから東に15キロメートルほど行ったところに,カステッロ・ディ・ニポッツァーノという街がある。そこにワイナリーがあるのだ。
12年にわたってファンをやっているHot Chipの初単独ライブにして,自身初ライブ体験であった。この時お腹の調子が悪い。翌日,10月12日,台風で大荒れのなか,トイレに籠もることになる。なお,この記事もHot Chipを聞きながら書いている。
気がついたら,木更津にいた。英語で書けば,I found myself in 木更津.
めぼしい写真が1年の前半に偏っているが,これはハードワークのせいである。
ブログ記事で振り返る
生きていると,突然突拍子もないアイデアが浮かんでくるものである。それをこのブログに書き留めることがある。全くウケを狙っている訳ではないのだが,時々チョットだけ反応をもらう。
これは,やっていないことを書いたらどうなるかを試した記事である。
Twitterで流行っていたので便乗した。140字では到底表現できない後味を出すことに成功した。
現金のない世界で現金を使ったら今(キャッシュレス決済が使えない)と同じことが起こるかどうか,ふと頭に浮かんだものを言語化したものである。
個人番号について調べていたら,法人番号について調べていて,その時に思いついたのがこのクイズである。
語学
僕がタミル語の単位を4単位持っていることはよく知られているが,相変わらず身につかない語学をやっている。外国語に触れていないと頭がおかしくなりそうだ。ところで最近,日本語力が落ちてきた,いや年齢相応に上がっていないことに気がついた。難しい言葉の意味が分からない。
英語は,真剣に学習する人のみ募集している学校に通っていたが,ACLの締切のせいで,なんと半分以下の出席率となって卒業してしまった(論文落ちるなら英語をやれば良かった)。にもかかわらず,TOEFL iBTは85点(受講前)から102点(受講後)に跳ね上がった。
来年はCOLINGがバルセロナなので,スペイン語のおさらいをしようと思って,研究室に文法書を配置して計算を待っている間に読んでいた。ところが,フランス語を勉強した方が良さそうな雰囲気になってきたので,12月からフランス語を勉強し始めた。多分来年はどこかの学校に通うだろう。
結論
今年は,なんともならなかった。業績もゼロ。非常につらい1年だった。しかし,その原因は大方去年にあるのだ。そして,本年後半は結構頑張って物事を進めた。結果が出るのは来年だ。
常々感じて,人にも言っていることだが,年齢を重ねるごとに,人生のステージが上がっていくごとに,物事にかかる時間が長くなる。
小学生の時のビッグプロジェクトはなんだったか。運動会,学習発表会,その程度である。児童の準備期間はせいぜい1ヶ月である。物事はせいぜい1ヶ月の幅でこなしていけば良かった。
高校生になると,受験などといって,半年~1年くらいの幅で物事を進めていくこともあった。部活で研究っぽいことをやっていたが,発表の申し込みなど,1~2ヶ月先の目途を持っていることが多かった。
大学に入ると,1年半後の進学振り分けのことを皆意識していた。サークルを作ったが,やはり1年くらいのスパンで物事を考えていた。
研究をするようになると,1つの課題に対しては数ヶ月,全体のテーマに対しては数年の計画を立てることが多くなった。修了までに2年あっても,「時間が足りない」などと言うようになった。
子どもの頃,ニュースを見ていて,長期的な計画について「政府は,平成20年度までに……」といった表現を耳にする度,気の長い話だ,待てないなと思ったものだ。東京オリンピックも,「7年も先の話か…」と思ったし,リニア中央新幹線も,「そんな先のこと…」と感じたものだ。数年単位で物事を考えるということが,全く現実味を帯びていなかった年齢から,もう何事も5年くらいの単位で考えないといけない年齢になってしまった。
来年の目標は,明日立てるのだろう。しかし,10年前とは異なり,来年どうなるかは今年の頑張りによって,もうほぼ決まっているのである。来年の目標は再来年以降の結果のためのものである。1年という単位で目標を決めて振り返るのは,せいぜい高校生くらいまでのやり方なのではないか。