逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

方向性を転換するとき

 僕は言語が好きで自然言語処理の世界に入った。興味の中心は今でも言語である。ところが,この業界はもはやそういうところではないようだ。

 自然言語処理は,機械学習の体の良い応用先になってしまった。今,トップ会議であるACLの論文を見ても,ほとんどがつまらない内容ばかりである。機械学習の研究者が,ICMLなどのトップ会議に通らなかった論文を,ほどよく難易度の高い応用先として問題を解いてACLやEMNLPに通すという流れが完成した。そして当然,それらはどちらから見ても面白くない。

 業界もそうだが,研究室もつまらない。言語に興味のある人がいない。機械学習の研究をしたかったが院試の成績が良くなかったので,その応用先として,画像か言語か迷って言語にしたという人で溢れかえっている。故に言語への興味はない。それが如実に表れているのが英語である。

 良くも悪くも,英語がコンピュータ科学における共通語である。これは他の自然科学でもそうである(人文学や工学はそうでもない)。英語は言語であるから,言語に興味のある人は英語にも程度の差はあれ興味があるものである。第二言語習得はとても難しいことであるが,言語に興味のある人間と無い人間ではアプローチが変わってくる。今のところ,興味のない人が大勢である。

 テーマも筋悪である。最近は知能に寄せすぎだ。大学院に入った頃は,自然言語処理を通じて人間の知能を明らかにするという方向性はとても面白いように感じられた。今はそうではない。あまりにもどうでも良いのである。人間にできることを計算機にやらせてどうしようというのか。人間にできないことをやりたい。最悪なのは対話,とくに雑談である。本質を見誤っている。雑談が楽しいのは経験を共有するからである。ドラえもんのび太と行動をともにせず,ただ日本語が流暢な機械だったらどれほどつまらないことだろう。

 この流れは加速していくだろう。そして,こういう人々で業界が埋め尽くされていけば,それが普通になってくる。そうでない研究は評価されないだろう。従って,僕の興味の所産も日の目を見ることはない。今のところ評価してくれたのは学振の審査員だけであるから,もしかすると無価値なのかもしれない。

 周りがどうであろうと,一人の独立した人間として研究を進めていくことはできるし,あと半年はそうするつもりだ。だがその後は,もうこの業界からは去りたいと思う。あまりにもつまらない。