逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

ルンルンたのしい選挙

 選挙は楽しい。ただ紙に名前を書いて箱に入れるだけなのに,投票所はいつだって丁寧で厳粛であり,なんとも仰々しい感じがして愉快だからだ。

 先日,岡崎市役所で東京都知事選挙の投票をした。人生初の不在者投票であった。まず,告示日の何日か前に,区の選挙管理委員会不在者投票の書類を送りつけた。告示日の翌日には,レターパック現金送れはすべて詐欺です投票用紙などが届いた。その後,岡崎市選挙管理委員会に電話して,不在者投票がいつできるか尋ねると,開庁時間ならいつでもできるということだった。そして,投票に向かった。

 不正防止のため,封筒は選挙管理委員会で開けることになっている。そこでまず本人確認をされた。普通選挙では投票券がある場合は本人確認をしないのに,ここではマイナンバーカードなどを提示する必要があるかもしれないとワクワクしていたが,なんと封筒の中に個人情報が書かれているようで,それを職員が見ながら,氏名と生年月日で本人確認がなされた。次に投票に移った。常設の投票記載所があって,そこで投票用紙に候補者の氏名を1つだけ書いた。選挙は大変厳格なので,3人の職員が手続を確認していた。投票用紙を僕が封筒に入れ,封をし,表に氏名と日付を書いた。そしてその封筒を,職員が別の封筒に入れて,東京に送り返すのである。

 この一票を投じるのに,人件費を入れたらいくらかかっているのだろう。数千円くらいになるのではないかと思う。尤も,東京都の歳出額約7兆円(一般会計)を人口で除した一人あたり歳出額が約51万円であるから,丁度良いくらいではないか。

 ある政治団体が,「選挙と政治の分離」なる概念をぶち上げた。これは面白いことを言うなと思った。政治は表では理想を語り,裏では現実に向き合わねばならないが,これは表でそうしないと選挙で落選し,また裏ではそれが全て対立関係にあるからである。これは我々有権者がバカなのが原因だが,バカが多ければバカの国になり,賢者が多ければ賢者の国になり,船頭が多ければ船が山に上るのが民主政である(本当に?)。これを上手に乗り越えようとすると,選挙と政治が分離していくのだろう。そう考えると,これまでもずっと分離していたではないか。

 僕も,選挙に際しては,政策を丁寧に比較し,政策論争を聞き,自ら判断して票を投じるのが理想だと勘違いしていた時期があった。投票を除くこれらは平素に行うことであって,選挙は票を投じるだけである。だいたい,「政策を比較~」などと言っている人間には政策の比較はできない。だって2週間しかないんだから。「TOEFLの勉強をするぞ」と言っている人間がしないのと同じである。

 ↑例えばこいつは今日に至るまで8年あまりにわたってTOEFLの勉強をしていない。

 やはり,選挙は投票を楽しみたい(これはenjoy「を享受する」の誤訳である)。5分くらいのことなので,全神経を集中しないと一瞬で終わってしまう。また,たくさん下調べをして,滞りなく,できれば,前回よりも良い投票ができたと思えるような,選挙をしたい。投票所には消しゴムはないから,下手な字になってしまうと心底ガッカリである。立会人に笑顔でおじぎするのも毎回の楽しみである(今回は不在者投票なのでできなかった)。ときどき,出口調査をされるというおまけもある(これまで16回選挙に行っているが出口調査にあたったのは1回だけである)。