逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

コロナ初期を思い出す

 もう忘れかけているので,コロナ初期に自分が何を思っていたかを書いておく(随時更新する)。

 最初にこの話題に触れたのは,Twitterで,オリンピックか何かのツイイトに,右寄りの人が「そんなことをやっている場合ではない,中国の肺炎の方が怖い入国禁止しろ!!」などと返信しているのを見かけたときであった。おそらく,1月上旬である。

https://twitter.com/search?q=until%3A2020-01-10%20%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E8%82%BA%E7%82%8E%E3%80%80%E5%85%A5%E5%9B%BD&src=nipox25&f=live

 この時は,「ふーん」と思うだけであった。中国のどこか狭い地域で何か新しい感染症が出たということに特段の重大性があると感じられなかったのだ。よくあることの1つという認識だった。本当によくあることなのかどうかしらないが。

 1月下旬になると,ダイヤモンドプリンセス号の話題で持ちきりになった。新型コロナウイルスは,船の中に留まっており,そこから出してはならないという雰囲気だった。あの船さえ押さえ込めば大丈夫という感じだった。

 WHOが緊急事態宣言を見送ったというニュースが出た。Twitterでは大バッシングだったが,専門家が集まってまだその状態ではないと決めたのだから,やはりそうなのだろうと思った。死者もほとんどいなかったし,妥当に見えた。また,科学的には渡航制限は無意味であるとされており,日本が渋っていることに対しても問題ないように見えた。コロナウイルスは風邪のウイルスとして有名で,新型でもコロナウイルスコロナウイルスなのだろうと高をくくっていた。

 その後すぐ,WHOは緊急事態宣言を発出した。2月に入ると,AAAI-20のために研究室から何人かニューヨークへ行っていたのだが,日本に戻ってこない方が良いのではないかなどと話していた。マスクの品薄状態が発生し,マスクをするしないで盛り上がっていたが,科学的にはマスクには予防効果が無いということなので,しないでいた。

 2月中旬になると,ダイヤモンドプリンセス号から乗客が下船するということになった。下船後14日間隔離すべきではないのかと思った。研究室でもそういう話で盛り上がった。

 2月下旬になると,言語処理学会がオンライン開催を決めた。3月時点で終息していれば開催できるし,していなければ大変なことになっているはずで開催どころではないと僕は見込んでおり,故に決行してしまえば良いと思っていた(今思うとかなり理解に苦しむロジックである)ので,びっくりした。イタリアで感染拡大という報道があり,LRECに行けるかどうかという心配が出てきた。隣国フランスは徹底した対策をするだろうから,むしろ日本人入国禁止にならないかという心配だった。1週間後には,LRECが中止になるかも知れないという心配に変わった。ここから新型コロナウイルスはヨーロッパが本場という感じになった。株が大暴落し始めた。

 2月の終わり頃から,ティッシュ・トイレットペーパーが品薄になった。馬鹿馬鹿しいという感想を持った。マスクをしてスーパーに来る人が増えたが,僕は先述の理由に加えてマスクがないのでそのままだった。政府が緊急事態宣言を出すために法改正をするといいだした。前々から憲法の緊急事態条項が話題だったので,どさくさに紛れてとんでもないことをやろうとしているようにうつった。専門家に諮問もせず,いきあたりばったりで休校指示が出された。これもどうかと思った。

 3月になって株価が底をついた。色々なイベントがキャンセルになり始めた。五月祭が中止になるかもしれないと思った。つまり,5月には終息している可能性が十分にあると感じていた。人口1300万人の東京都で,1日に数人というのは追えている限り何ら問題ないという感じであった。ただ,手洗いは努めて励行した。

 3月下旬になって,これはもう家から出ない方が良いと感じるようになった。もう東京は終わったと感じた。医療崩壊の可能性が示唆された。スーパーに行くのもやめて,大量にパスタを買い込んで凌ぐことにした。志村けんがコロナの犠牲となり,世論が一気に変わった。

 4月に入って,上の階の住人の騒音に堪えられなくなって,実家の横にある離れに移動した。緊急事態宣言が出て,これを言い訳にできるようになったために,あらゆる部分で閉店や時短営業,リモートワークなどが始まった。早くても秋まで,もしかしたら年内の終息は無理,感染者数も数万単位に増えていくのだろうと思った。