逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

2020年を振り返る

 今年は本当に忙しかったが,充実していたとも言える年になった。

 正月早々,久しぶりに部活のOB会に参加した。前回は2013年の8月だったので,6年以上あいてしまった。前回の参加時にちょっと思うところあって,しばらく来ない方が良いと感じたからだ。D進もしたのでそろそろ良いだろうということで参加したが,人数も多くて驚いた。だが交流する動機が無いことにも気がついた。全校の同窓会もそうだが,こういうのは難しい。

 年度末にかけては,就職活動をしていた。話を聞きに行く機会というのがいくつかあって,4社ほど見て回った。就活についてはまた改めて書くつもりだが,気づいたら3社からの連絡が途絶えていたので,そのまま残りの1社に決めた。

 言語処理学会年次大会は茨城開催だった。本当に見るところがなく,毎日偕楽園に行っていた。招待講演は楽しみにしていたので良かった。

 5月には,LREC2020のために一旦フランス・マルセイユへ行った。7月からフランス滞在ということもあって,多少のフランス語ができないとまずいと思い,週3で集中的にフランス語教室に通った。3ヶ月くらいなら大して学費も膨らまないので良いものだと思った。依然Rの発音が気になっているが,それよりも母音の方が難しい。

 本年最も大きなイベントが,フランス・ナントに半年近く滞在して研究をしたことだ。受け入れ先の先生とはすでに共著がある状態だったので,行ってすぐ研究の議論ができた。ビザの取り方など色々と下調べをし,かなり時間がかかる場合もあるということで警戒していたが,今回は先方のグラントを取得していたこともあって,コンバンション・ダキュイ(Convention d'Accueil)もすぐに発行してもらえた。これは修士の学位があれば良いようである。ただ住所のアパート名が間違っていて,大使館で撥ねられやしないかとヒヤヒヤした。また,アパートの契約も大変面倒だが,全部先方がやってくれた。日本と違って一人用でも広くて良いなあと思った。

 7月1日に現地に到着したが,博士論文の中間発表が中旬にあったため,2週間で一旦帰国した。その直前には,シアトルでACL2020があって,論文は通らなかったが(というか出さなかった),学振の研究費があるので,これで参加した。よって,ナント暮らしが始まったのは7月後半からだ。そして,受け入れ先の先生に挨拶したらすぐ8月頭のバカンスになってしまった。日本と異なり,バカンスは義務だったため,大学は閉鎖され,アパートに籠もる羽目になった。せっかくなのでヨーロッパ旅行をしてみたかったのだが,フランス語の練習を優先した。

 東京オリンピックも開催された。もとよりスポーツには興味が無い上に,オリンピックを言い訳に不便を強いられてきたこともあって,開催期間中はなんとか東京から逃げようと思っていたところ,フランスにいたのでなんともなかったというオチであった。

 9月には,スペイン・バルセロナでCOLING2020に参加した。フランスからは(東京と比べると)大変行きやすかった。先生の指導教員がなぜかスペイン語でまくしたてることが多かったらしく,スペイン語が流暢で,現地ではくっついていって色々と教えてもらった。日本の研究室からも何人か論文を通していて,現地で会うことができた(なんか変な感じ)。

 COLINGの後から,博論をどうするか考えなければならなかった。構成を考えて,これまで書いた論文をいくつか流し込んでみたが,なんと本文が38ページにしかならなかった!この分野はジャーナルではなく国際会議論文の文化だが,これが裏目に出た。普段ダブルカラム8ページのフォーマットに押し込むことを訓練されてきたので,短くなる一方だったのである。

 11月には,ドミニカ共和国のプンタカナで開催のEMNLP2020に参加した。日本からだと2回も乗り継いだ上にどうやっても24時間以上かかってしまうのだが,CDGから直行便が出ているというありがたさ。スペイン語選択としてはスペイン語圏に何回か行けるのは大変嬉しいことであった。

 12月に帰国して,博士論文を提出した。そこから色々な手続やお伺いがあって,今に至る。本審査が終わるまではしばらく忙しい。

 今年は「TENET」,「キングスマン:ファースト・エージェント」と「007 ノー・タイム・トゥー・ダイ」が公開され,映画の面でも満足が大きかった(さすがに日本語字幕が良いので日本で見た)。渡航もあったので,読響の定期会員は更新しなかった。

 来年は,まずきちんと学位を取って,それから研究者として業績を積めるように努めていきたい。