逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

東大に落ちて10年

 気恥ずかしさや劣等感が薄らいだという事情がある。加えて,10年経ったけれど僕の中ではまだ連続性があって(だってまだ同じ学校にいるからね),就職したらこれが失われて,感覚や記憶が消えていくだろうと思われる(同期で学部卒で就職した会社人5年目の人間はもう覚えていないだろう)から,書くなら今が最後の機会なのだ。これまで東大に落ちたときの気持ちをどこにも記してこなかった。当時すでにTwitterに東大受クラスタなるものがあって,模試もみな成績が良くて,半分くらいは実際に合格していて,順当に落ちた感じがしていた僕にとってはとてもそのことを述べられなかったのである。このブログもまだなかったし,高校の時に書いていたものは卒業と共に終わってしまったので,他に媒体もなかったのである。

 そもそも東大に受かりそうな感じはずっとしていなかったのだ。なんとなく浮ついた,非現実のような感じだった。模試だって良い結果を出したことはないし,客観的に見て東大は無理だよなというところだった。勉強だって全然できていなくて,英語は得意科目だったけれど,数学や理科は全然追いついておらず,過去問もたくさんこなしたけれど,解けてはおらずただ解答を写経しただけだったからだ。

 発表の日は,午前中はTwilでTwitterを見ていた。結果が出始めたころ,インターネットで番号を見た。無かった。まあ無いよなと思った。親は落ち込んでいた(たぶんかわいそうに思ったのだろう)。東工大後期の対策は多少していたけれど,これも英語は良いのだが数学がダメで,受からないだろうなという感じの方が強かった。

 あの日はもう,翌日には東工大後期を受けに東京に行かなければならなかったから,切符を取ったりして慌ただしかった。翌日も,どうせ受からないだろうという疑いに,東日本大震災が加わって,なんとなく浮ついた,大変なことになったなという気持ちだけが心を満たしていた。自分の身に起こったことをしみじみと感じたのは,まさにこのブログを始めた頃だった。

 

 東京のアパートを引き払うので,荷造りをしていた。例のレタックスが出てきた。捨てた。