逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

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 小学生の時,ときどき外部から人を招いて話を聞くことがあった。その後で必ず「お礼の手紙」を書くことになっていた。この「お礼の手紙」を書くのがとても大変だったことを覚えている。

 B5用紙に何本か引かれた罫線。配られるや,どうやって埋めようかと悩んだものだ。低学年のうちは,何を書いたら良いかも分からず,「ありがとうございました」を3回くらい,点在させて書いていたように思う。高学年になると,話の内容を少し混ぜて,「ためになった」「分かりやすかった」などと評して埋めれば良いことに気づいた。

 今でも多分,何を書こうか何分か考えるだろうが,それでもよほどマシなものを書ける自信がある。年齢と共に書ける文章の量が増えてきたのである。

 では,いったいいつから長文を書けるようになったのか。

 単に長いという意味では,思い出されるのは小学3年生の授業である。たしか,小説だか物語だかを書こうというもので,(他の人と比べて)ものすごく長いものを書いた記憶がある。ただその中身はめちゃくちゃで,その場その場で思いついたことを書き連ねていったのだ。故に一貫性のない物語になっていたはずだ。

 夏休みの宿題の作文も苦労した。読書感想文は書けたものではなかった(本の感想なんてそんなに書けるか,と思っていた)ので,生活作文を書いていたのだが,これが苦しかった。今でこそ,子どもならではの視点で日常を切り取ったらいかに面白いかと思うのだが,子どもにとっては子どもならではの視点が何であるか分かりはしないのである。原稿用紙5枚程度で相当苦労したから,高学年で2000字は厳しいということか。

 中学生になっても長い文章を書く機会は増えなかった。夏休みの宿題にも,生活作文というものはなくて,たしか「原子力の日」記念作文コンクールに出す作文を選択した。これは図書カードがもらえるからである。これも内容はメチャクチャで,600字くらいだったと思う。原子力を持ち上げないといけないのに,書いているうちに「原子力はクリーンなエネルギーだが,事故が怖いので自然エネルギーなどに注力すべきだ」などとなってしまったのを覚えている。なおこれは3・11前のことである。

 高校に入学するときに読書感想文を書かされた。たしか老人と海で書こうとして失敗してカモメのジョナサンで書いたのだったか,その逆だったか。15歳になっても本の感想がろくに書けないという状態だった。生活作文の類でいうと,この頃からブログを書くようになった。だが一貫性のある文章ではなかったように思う。

 スーパーサイエンス部でちょっとした論文(というか実験レポート?)を年に数回書くようになった。これは2カラムで2ページくらいだったように思う。図表があるとはいえ,A4用紙2枚くらいなら論理的な文章を書けるようになったということなのだろうか。

 多分違う。見たこと,やったことを事細かに書くことができるようになっただけである。夏休みの宿題として,家庭科で何らかの課題解決をするレポート課題が出されたのだが,これはやったことをつらつらと書いて何枚かになった記憶がある。また,震災時あったことを非常に細かく書いてブログ記事にしたことも思い出される。

 大学に入ってからは,塾講師のアルバイトで大量の文章を書いた。僕は英語の先生をやっていたが,B5用紙で400ページ・10万字くらいの教科書を毎年書いていた。また,問題集の解説を265ページほど書いた。春と夏には講習があり,このテキストも毎年100ページくらい書いた。会議などで,自分の主張をするための資料を8ページくらい書くようになって(他の人は1ページくらい),15分の枠を大幅にオーバーし50分喋って怒られた。この頃から長すぎるという問題が出てくるようになった。ついに,長い文章を書けるようになったということだろうか。

 テキストの類は,人を説得する部分があり,一貫して論理的な構成が要求される一方,単に事実を書く部分も大量にある。例えば,例文や文法などがそうである。ところが,卒業論文は,全てが結論に向かっている。なんらかの論理的関係を持たない文章は書いてはいけない。そうすると分量がなんとA4用紙8ページになってしまった。まだ長い文章は書けなかったのである。

 大学院に入って,ややこしいことをなるべく分かりやすく構成する機会が増えた。ここでいう分かりやすさというのは,内容を簡単にするということではなく,論理構造が素直であるということである。こうして,30分くらいのプレゼンテーションであれば,良いものが作れるようになってきた。しかし全然長くないのである。

 人の文章や発表を読んだり聞いたりする機会も増えた。ここで,分かりにくい部分を分かりにくいと感じ,どうすれば分かりやすくなるか考えるようになった。受け手の視点というのは常に大事である。

 そして,今度は書く際に,先回りして反論をしておくことが増えた。このブログでも時々やるが,読み手の反論を想定して文章を書くのである。これは論文ではとても大切である。

 学振の申請書も,DC1の時は書くことがなく,枠が埋まらなくて苦労したが,DC2の時は枠が足りなくて苦労した。論文も,修士の終わり頃は埋めるのに苦労していたが,今では削るのに苦労するようになった。削るときも,これを削ると○○が分かりにくくなるだとか,こういう反論を抑えられないとか,そういう心配が出てくる。ということは,全てが説得的な文章になっているということである。

 英語で数千ワードの文章であれば,書けるようになった。だが,本1冊書けと言われたら,書けないような気もする。あんなに長い文章を書いたら,最初と最後で言っていることが変わってしまいそうだ。

 長い文章を書けるようになるために必要なことはなんだろう。いくつかの気づきが必要だけれども,それを得るためには,人を説得させる文章をたくさん書くことと,人に説得させられる文章を読んで反論を考えることが有用なのではないか。人の振り見てといわれるように,他人の文章を添削するのも大変役に立っていると感じる。

 短い文章では端的に結論しか書けない。Twitterでは結論のみによるコミュニケーションがさかんだ。Twitterは議論に向かないといわれて久しいが,今でもしょうもないヨーロッパ応酬が繰り広げられている。これは文章が短いからいけないのである。ただし文章が長いと,読まないで反論するということが行われる。これを防ぐためには,要約しないことが重要である。つまり,タイトルや見出しなどはつけてはいけないのである。

方向性を転換するとき

 僕は言語が好きで自然言語処理の世界に入った。興味の中心は今でも言語である。ところが,この業界はもはやそういうところではないようだ。

 自然言語処理は,機械学習の体の良い応用先になってしまった。今,トップ会議であるACLの論文を見ても,ほとんどがつまらない内容ばかりである。機械学習の研究者が,ICMLなどのトップ会議に通らなかった論文を,ほどよく難易度の高い応用先として問題を解いてACLやEMNLPに通すという流れが完成した。そして当然,それらはどちらから見ても面白くない。

 業界もそうだが,研究室もつまらない。言語に興味のある人がいない。機械学習の研究をしたかったが院試の成績が良くなかったので,その応用先として,画像か言語か迷って言語にしたという人で溢れかえっている。故に言語への興味はない。それが如実に表れているのが英語である。

 良くも悪くも,英語がコンピュータ科学における共通語である。これは他の自然科学でもそうである(人文学や工学はそうでもない)。英語は言語であるから,言語に興味のある人は英語にも程度の差はあれ興味があるものである。第二言語習得はとても難しいことであるが,言語に興味のある人間と無い人間ではアプローチが変わってくる。今のところ,興味のない人が大勢である。

 テーマも筋悪である。最近は知能に寄せすぎだ。大学院に入った頃は,自然言語処理を通じて人間の知能を明らかにするという方向性はとても面白いように感じられた。今はそうではない。あまりにもどうでも良いのである。人間にできることを計算機にやらせてどうしようというのか。人間にできないことをやりたい。最悪なのは対話,とくに雑談である。本質を見誤っている。雑談が楽しいのは経験を共有するからである。ドラえもんのび太と行動をともにせず,ただ日本語が流暢な機械だったらどれほどつまらないことだろう。

 この流れは加速していくだろう。そして,こういう人々で業界が埋め尽くされていけば,それが普通になってくる。そうでない研究は評価されないだろう。従って,僕の興味の所産も日の目を見ることはない。今のところ評価してくれたのは学振の審査員だけであるから,もしかすると無価値なのかもしれない。

 周りがどうであろうと,一人の独立した人間として研究を進めていくことはできるし,あと半年はそうするつもりだ。だがその後は,もうこの業界からは去りたいと思う。あまりにもつまらない。

日本酒

 日本酒が好きになったので飲んだものを記録しておこうと思って,togetterに記録してあるのだが,ひとつまとめておきたい。

 酒には2種類あって,どんな味か思い出せる酒と,飲んだのは記録から分かるがどんな味か思い出せない酒である。

思い出せる酒

あれば飲む酒

 要するに好きな酒。

十四代(山形;高木酒造)

 初めて飲んだのは2015年9月5日。これを飲んで日本酒が好きになった。故にあれば頼んでしまう。飲んだ場所は思い出せる限りでは,シンスケ(湯島),タカマル鮮魚店(新宿),オレンチ(西荻),えんじ(西早稲田)。上品な香りと飲んだときの澄んだ感じが好き。

黒龍・九頭龍(福井;黒龍酒造)

 一番好きな酒。といってもラインナップが少なくないので,純米酒があれば注文している。九頭龍はそうはいかない。あっちこっちで飲んでいる。キリッとしているが,かといって辛すぎないところが好き。

陸奥八仙(青森;八戸酒造)

 一番飲んだ酒。青ラベルも赤ラベルひやおろしも全部旨い。ここのところご無沙汰だが,飲むと「あ~これこれこの味」となる酒。

醸し人九平次(愛知;萬乗醸造

 地元の酒といえば蓬莱泉だが,尾張醸し人九平次は旨い。香りが良い。あれば頼んでしまう。

蓬莱泉(愛知;関谷醸造

 地元の酒なのでひいきにしている。「空」「吟」「美」を飲んだ。蓬莱泉のカップ酒をがブリチキン西荻窪店で飲んだ。空が一番好き。これはバイアスもかかっている。小学生の頃から大人たちがありがたがって飲む姿を見てきた。通貨として機能すると言っても良い。普通,人に酒を贈るなら一升瓶だが,空だけは四合瓶で良いと聞いたことがある。これは当然で,一升瓶は飲食店にしか卸されないからである。空は大変上品な香りと,すっきりした味わいで美しい。吟は格上の酒だが,やや辛口の印象。美は普通の酒なので割高感がある。地元ではなかなか手に入らない空と吟だが,板橋の酒屋でいつも購入している。可に手を出す気が起こらない。

好きな酒

 飲んで「いいな」と思った酒。

銀盤(富山;銀盤酒造)

 すしざんまいに必ずあるので,座るやいなや「銀盤1合ください」と頼む。純米大吟醸である。この安定感が好き。

新政(秋田;新政酒造)

 この流れでは意外に思われるだろうが,これはこれで好き。酸味が楽しい。No.6は1回だけ飲んだことがあるが,びっくりしてしまった。

楯野川(山形;楯の川酒造)

 「あれ,日本酒飲めるなあ」と思った酒。それまでは日本酒に抵抗があった。要するに飲みやすいのである。日本酒原価酒蔵に行ったら,日本酒に飲み慣れていない人向けのマークが付されていた。これは妥当。ちなみに,どうもメニューにあったら必ず頼んでいるようだ。

朝日鷹(山形;高木酒造)

 オレンチ(西荻)で1回だけ飲んだ。どうも東京では手に入りにくいそうだ。本醸造なのだが,旨い。

鶴齢(新潟;青木酒造)

 飲みやすい酒。王子駅近くのまいどで飲んだのが初めて。

獺祭(山口;旭酒造)

 最初に飲んだのは魚金神楽坂店で,次に飲んだのは日本酒原価酒蔵神保町店である。良い意味で無難。

うまからまんさく(秋田;日の丸醸造

 これは旨い。料理に合わせられる酒。酒蔵の売り文句そのままで笑ってしまう。

奥播磨(兵庫;下村酒造店)

 味がある酒。色もかなり黄色い。最後に飲んだのは十徳(新宿)。

流(新潟;高橋酒造

 日本酒原価酒蔵限定流通だという。名前の通り口の中を全部流してくれるような感じ。水みたい(意外と好き)。

 

それ以外の酒

 他の人が注文しようとしたら「それは苦手なので他のにして下さい」と頼む酒。こればかりは個人の嗜好なのでどうしようもない。

花陽浴(埼玉;南陽醸造

 これはジュース。このお酒は好きとか嫌いとか言っても誰も怒らないと思われる。

刈穂(秋田;秋田清酒

 一滴八銭屋(新宿)といううどん屋で飲んだ。飲んだのが「超弩級気魄の辛口山廃純米生原酒」という日本酒度+25のお酒で,辛い。基本的に辛いお酒は僕は飲めないのである。

 

伯陽長(鳥取;江原酒造本店)

 苦手。

リアサケナチュレル(長野;小布施ワイナリー)

 これなら醸し人九平次を飲むべきという結論に至った酒。

思い出せない酒

 思い出せないお酒というのは,印象的なエピソードと共に記憶されていないか,色々な酒をたくさん飲んでいるときに,「初めて」飲んだきりである酒である。従って好き嫌いと必ずしも関係ない。

土佐鶴
澤乃井

 東京にも酒蔵があるんだ~!!と驚いたことだけ覚えている。

磐城寿
八兵衛
悦凱陣

 これも結構見かけるよね。

栗駒山

 楯野川と一緒に飲んだのだが,楯野川が旨いので忘れた。

景虎

 田毎(西荻)で冷や(常温)で飲んだ。

若乃井
真澄
ゆきの美人
射美
竹泉
栄光冨士

 森のくまさんも含めて何回も飲んでいるのだけれど,酔いが回ってから飲むので記憶に残らない。残念。

高砂
而今

 えっ,而今が記憶に残っていないだと・・・

上喜元

 「日本酒に力を入れています!!」などと書いておいてメニューに4種類くらいしか置いていない場合によく注文する酒。

村佑
田酒

 これも思い出せない・・・

じゃんげ
阿部勘
天吹
七賢
富久長
くどき上手

 これも思い出せない・・・

七田
白龍

 覚えてはいないのだが,Twitterに好きじゃないと書かれていた。

風の森

 これも何回か飲んでいるのだが・・・

醴泉
仙禽

 サケラボトーキョー(十条)で「あらばしり」「なかどり」「せめ」を全部試したが,故に忘れた。

寫楽
雪男
白老
手取川

 南にいたっては,飲んだことあるのに「これ飲んだことないな」と思って注文したことがある(つまり2回飲んでいる)。

大信州
天心
飛露喜

 ひろきも何回も飲んでいるのだが,最近めっぽう見かけないので飲めず,忘れてしまった。

みさき
東洋美人

 これもメジャーな銘柄だと思うが・・・

雪兜
勝山
加茂錦
にいだしぜんしゅ
〆張鶴
澤屋まつもと
日本刀
蒼空
天吹
澤乃花
よこやま
三好
越弌
幻舞

 Twitterに「これ好き」と書かれていたので気に入ったのだろう。

花泉
南部美人
尾瀬の雪どけ
山本
岩の井
花の舞
磯自慢

おわりに

 日本酒を飲んだ日は帰りの電車なので急いで記録をつけるようにしているが,それでも漏れているものはいくつもある(「今日○○を飲んだ」などと書くとまずい場合もあった)。それでも,82種類の銘柄をこれまで飲んだことが分かり,満足している。

 次のステップは,同じ銘柄でも特定名称はもちろん,年によって味が違うということに気付いていくことである。これは銘柄を絞って定期的に飲んでいかねばやりようがない。

 そして,次のステップに行く前に,ワインを少し勉強したいと思って,いくつか購入を始めた。○○が好き,と言えるようになるまでやっていきたい。

選択肢を減らすということ

思えば,高校受験のとき,愛知県は公立を2校受けられるのだが,1校しか受けなかった。現役の大学受験は,理科大を受けて合格し,そのまま入学金を納めないで東大を受けて,落ちたのだった。浪人の時は4校受けている(早稲田が2つ)。さすがに焦っていたのだ。大学院は,学部直属の研究科ではないところを受けたが,これも1つしか受けなかった。

 

中学の時よく担任が勉強を頑張れば選択肢が広がると言っていた。これは正しい。一般に,能力が高かったり多かったりすれば選択肢が広がる。ただどうも僕は時々,1つしか選択肢として用意しないということをやってきたように感じている。

 

元々,学部3年生の時の計画では,修士でサッサと論文を出し,DC1を取り,某社でインターンをし,さらにまた某社でインターンをし,そのまま某社に入って,その後アカデミアにテニュアで戻ってくるということを描いていた。だが,「修士でサッサ(化学雑巾)と論文を出」すことに失敗し,総崩れとなった。

 

長期計画は常に変動するということは分かっているので,総崩れ自体に問題はないのだが,どういうキャリアを歩むか非常に悩ましくなってしまった。民間企業なのか,アカデミアなのか,研究職なのか,開発職なのか。こういうときは,その先にあるゴールから逆算するのだが,どのルートも同じくらいの確率なのである(不確定要素があまりにも大きいから)。

 

こうした不確定要素のために,身動きを取れないでいた。つまり,D2の秋になって,就職活動というものをやるべきかどうか決めかねていたのである。アカデミアを考えるならば,学振PDや理研の基礎特権(正式には基礎科学特別研究員だが,変換しても出ないので基礎「特権」と書くことになっている;試しにGoogle検索で「理研 基礎」と入れてみると良い)の応募が年度末から4月にかけてあり,さらに助教が4月~6月,特任助教は夏~秋にも求人があり,これらに応募することになる。そしてこれらは民間就職の時期の後であることがほとんどだ。

 

11月31日に,研究室で某と会話していたのだが,就職の話題になり,上述のようなことを言ったところ,とりあえず受けてみれば良いのではないかという意見を受けた。これは尤もであると感じた。

 

遡って9月31日に,カフェスタアメーバピグだったかもしれない。いや,mixiだったかな?Twitterでないことはほぼ確かだ)で流れて来た広告か何かで,「スイー」という人材系サービスを目にした(実際には「スイー」という名称ではない)。この手の広告は目障りで,かつ人材系ベンチャーに辟易していたので無視をしようと思ったのだが,どういった理由によってか,登録したのである。フォト蔵(My Operaだったかもしれない。Facebookということはほとんどないだろう)連携で登録できるとあったので,そのようにしたのだが,バグり倒しており,エラーでうまくできなかった。そのため,初回ログイン(サインインだったかも)時に五言絶句(実のところ,似顔絵だったか,自己紹介だったか,かなり前のことなので記憶が曖昧である)を書いた後,2回目のログイン(サインオンだったかも)ができなかった。

 

登録後n(n∈ℂ)週間で,あれがああなったのだが,「今忙しい」と思って放置していたのだった。そして,11月31日になってあれのことを思い出し,こうしてみたのである。

 

結果として,某社は面談後,「後で連絡する」と言われたのだが,今日に至るまで連絡は来ていない。対して,某社は,何度もそういったことになった。

 

そうこうしているうちに年が明け,NTT持株やIBM東京基礎研究所などの選考が始まったり始まらなかったりしていたところ,これらに応募するかどうか考えていた。なんでも出してみれば良いのだが,ここぞという時に選択肢を切り捨てる性分のようで,躊躇していた。

 

そうこうしているうちに,某某から内定が出て,就職活動は終了した。

 

こうして年度内に終えることができたのも,スイーのおかげである。スイーの運営をしている有限責任中間法人ヒョオに感謝したい(合同会社だったかもしれない。いや,特定目的会社だったかな?)。

 

東宮職(総辞職?総合職だったかな?)なので,しっかりと今研究を頑張って,学位を取ることに集中していきたい。

未練タラタラ

論文投稿直後である昨年の3月にナニワ金融道を全巻読んだのだが,多分それがきっかけだと思う。4月に,突如思い立って司法書士の資格を取ろうと参考書を買ったのである。

参考書は順調に読み進めていたのだが,5月に論文がリジェクトされてしまった。これがもう大変ショックで,途方に暮れたのである。というのも,研究の方向性を変えないといけなくなったからである。

同時に,いくつかの懸念が出てきた。それは,3年で学位が取れないかもしれないということ,もし取れない場合4年目の生活費をどうやって捻出するかということ,そして学位が取れるか取れないか定まらない間に就職活動をしないといけないということである。

とにかく研究を進めないと話にならないという状況になり,気付いたら7月7日の試験日を迎えていた。なんと民法の勉強が終わっていなかった(あと民事訴訟法,商法,会社法不動産登記法商業登記法憲法,刑法がある)。受験しなかった。

試験に申し込んでおいて受けないというのは,完璧主義的クズのやることであり,自己嫌悪に陥ってしまった。そして,6月の終わりにカバチタレを全巻読んだことがきっかけかどうか分からないが,行政書士試験を受けておこうと思い立ったのである(なおカバチタレは非弁行為中心の漫画である)。

行政書士試験の方が圧倒的に簡単である。故に資格を取っても役には立たないが,そんなのはどうでも良いのであった。とにかく何らかの形で自分を認めてもらいたいという気持ちが強くあり(それは論文が落ちたから),また4年目の資金の工面という側面もあった(前言と矛盾するようだが,資格があればアルバイトくらいはできると踏んでいた)。

国際会議から帰ってきた8月上旬,試験に申し込んだ。参考書はテキスト(なんと1冊である),判例集,問題集の3冊を購入した。

ところが,8月から研究が一気に進んだのである。9月に入るころには論文の形になっていた。こうなると研究が優先である。

結局,試験前日の土曜日に焦ってテキストを読んだのだが,問題集や判例集は手つかずとなってしまった。しかし受けないというのはクズのやることなので,重い足を引きずって受けに行った。

民法はともかく,ほかは全然分からないし,記述については全て意味不明で,これはさすがに無理だったと悟った。試験は3時間だが,2時間ちょっとで切り上げて,退室した。普通,自己採点のために問題用紙は持って帰るのだが,それもしなかった。そしてそのまま研究室に向かった。

12月の頭に論文を投稿し,その次のネタも既にあって,研究もなんとかなりそうだという雰囲気になり,もう忘れていたのだが,1月になって通知が届いたのである(そりゃそう)。

まあまあ良い点だったら来年も受けようかななどと思って葉書を開いてみると合格していた。あっけないものだ。何ふぁぼもらえるかなと思うくらいだった(329ふぁぼついた)。

2月に論文は無事採択となり,次の論文も執筆中であり,その次のネタも実験が進んでいる。資格が生かされることは来世までないだろう。

人の話を聞くことは極めて高度で常人には終ぞできないこと

ここ数年,学校でのあれこれがTwitterをはじめテレビまで巻き込んで問題になることが目立っている。具体的には,例えば,かけ算の順序問題,それから,漢字の書き取りテスト等である。これらは,ひっくるめて,超算数とか,超国語と呼ばれているようだ。

大方,学校がおかしいという論調であるし,その学術的または政策的根拠も示されているので,理解できる。そして本稿では各問題の実質的議論には立ち入らない。なぜなら,これら一連の問題は学校の教授法云々以前にもっと大きな問題を抱えているからである。

僕が「かけ算の順序問題」に違和感を持ったのは,自らの経験上,小学校で「かける数」と「かけられる数」という表現で教わったことは明確に覚えているものの,これが問題となってテストで減点されたことがないからである。なぜ減点されなかったか。教員が数学的に同等のものであり減点する余地がないとみなしたからだろうか。多分違う。かける数とかけられる数の順番を「正しく」答案に書いたからである。

漢字テストの件も同様である。漢字テストで,はねやとめ,はらいで×になったことがない。なぜならその通りに書いているからである。

逆に,どうしてこうした問題を提起してしまうような答案が発生するのかを考えたい。まず,かけ算の順序であるが,小学校でかけ算を習うときに順序と一緒に教わるので,その通りにやればテストで「順序を間違える」ことはない。次に漢字の書き取りであるが,小学校では筆順まで丁寧に教えてくれるので,筆順からなにから教わったとおりに書くことになる。よってテストでとめやはらいで減点されることはない。

尤も,そもそも立式を間違えることはあるし,違う漢字を書いてしまうことはある。しかしながら,これは同種の間違いではない。算数においては,文章題を解釈するという頭を使う部分と,式を書くという手続の部分があるが,手続は決められたとおりにやるだけであり,難しさはない。漢字も,何を書くかは理解を必要とするが,文字を書くのは単なる手続である。

従って,大議論を呼び起こしているのは,主に手続の過誤である。実質が正しいのだから,手続は不問にしろということである。なお本稿では先述の通りこの善し悪しについては立ち入らない。

問題は,なぜ,手続の過誤を起こす児童生徒がいるのかである。簡単に言えば,言われたとおりの手順が踏めないということである。これにはいくつかの可能性がある。まず,学校以外の場所で異なる手続を学んだ場合である。例えば,塾に通っていて,かけ算の問題について異なる知見を得た場合や,街中で見かけるゴシック体やポップ体の文字を見て漢字を覚えた場合である。これなら特に問題は無い。次に,完全に理解しているものの,自らの思想上,異なる手続を取りたい場合である。例えば,「絶対に小さい数×大きい数と書きたい」とか,「漢字は篆書体に限る」等である。これも,分かってやっているのだから問題ないのだが,わざわざテストで減点される方法を採っているのだから,擁護できない。3つ目が問題である。それは,学校で教員の言っていることが理解できない場合である。「手偏は撥ねますよ」と言われても,何を言っているのか理解できないということである。あるいは黒板に手偏が書かれて,「ここが撥ねています」と説明されても,何ら知識として落とし込めないということである。これは本当に深刻である。そして思ったより多くの人が,いや,大多数がこの状況にあるものと思われる。小学校1・2年生水準の手続を満足に教わることができないまま,成長すると,例えばセンター試験で再三の指示があったにもかかわらず受験番号をマークしないというようなことが起こるのだろう。

言われたことができるということは一般的に高い能力を示すが,言われたことができないというのは単に力不足ということであり,仕方ない面がある。ところが,言われたことが理解できないというのは大問題である。そういえば,塾講師をやっていたとき,よく「言ってる意味分かる?」と聞いたものだ。高校生にもなれば抽象的な説明も増えるが,手偏が撥ねることも理解できないのならば,やるだけ時間の無駄であった。

ペットボトルのラベルを剥がさないで捨てて良い自治体は殆どないが,お構いなしにゴミ集積所に出されるのも,日本語の意味が分からないからである。押しても信号が変わるわけではないのに,視覚障害者用のボタンを押すのも,そこに書かれている日本語の意味が分からないからである。料理のレシピは悲惨なのではないか。あれこそ量と順番が極めて重要であるが,おそらく半分も理解されていないだろう。レシピ通りにやっているのに上手く料理が作れない人がいたら,小学校の算数のテストを押し入れから引っ張り出してくるよう勧めたいものだ。

 

参考書ソムリエコンクール2020過去問テイスティング観戦記その2

「第2問です。」

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「ではどうぞ。」

『縦書きなので現代文だと思います。倫理ではありません。』

『(これは東大の過去問にあったな・・・)』

『(何年だ?)』

(黙っちゃったぞ...)

『えー』

『東大の過去問であると思います。』

『文理共通です』

『国語の第1問です』

『(何年だったかな……)』

『ええと,2019年はカオスがどうのこうのという内容なので,物心二元論は出ていません』

『2018年は文章が敬体でした』

『2017年は...というか』

物心二元論が出てきそうな内容,』

『(う~ん)』

原研哉の「白」よりは後だと思うんですね』

『「白」は2009年に東大,早稲田文,学習院文,成蹊文で出題されて話題になりました』

『(もう年は分かんないから範囲を狭めて点数をもらおう...)』

「時間です」

『え~,東京大学,国語,第1問,前期,ん~~2010年から2013年のいずれか!』

 

『あっ!!!!ああっ』

『下線部1になっている!東大の下線部はアイウエオだ......数字じゃない......』

『(うっっわ大学間違えた...)』

(うっっわ大学間違えたか~)

 

 

※出典:河野哲也『意識は実在しない』