食べもの
テスト週間だというのに、今週の日曜日(1週間は日曜日から始まる)から体調を崩していた。
胃だか腸だかにウィルスがついて離れないタイプの風邪である(呼吸器は平気)。腹痛と下痢と発熱で、嘔吐がなかったから良かったものの、貴重な1週間を泡にした。ぶくぶく。
あまり食べてはいけないと医師から言われたので、なるべく食べないようにしていると、調子が悪いのに常に空腹で食欲旺盛という状況になる。テストを受けるためにフラフラしながら大学へ行く途中にも、肉を焼くにおいや、パン屋の香りといった、通常であれば何の誘惑にもならないものが強烈に刺激してくるのであった。
今もなお回復の中途にあるが、このようにあれもこれも食べたくなる病気の最中が、過去にもあったなと思いだした。
小学3年の時である。胆嚢が腫れて病院に通い詰めた1週間であった。部位的には盲腸を疑っても良いが、症状が軽すぎるということで、近所の小児科医もアテにならないものだなといったところで、市民病院でエコーをかけてもらったところで原因が分かったという顛末だったのだが、このことを夏休みの宿題「生活作文」にしたのだった。その最後には、あれも食べたいこれも食べたいと記されている。この時は食えなかったのだ。最後は栄養が足りず点滴を打たれたくらいだった。
恋しくなるのは「いつもの味」である。
帰省すると、家族は歓迎してくれ、どこかへ連れて行ってくれようとする。家族にとっては「どこかに行くこと」が特別だからだ。食事もできるだけ外食にしようとしてくれる。
寿司でも焼肉でも、食べられるに越したことはないが、東京は文化の中心地である。寿司も焼肉もあるのだ。高くて行かないかどうかは別にしても。
僕にとってもはや母親の手料理は「いつも」ではなくなっている。だからこそ、これが恋しくなるのだ。
これにもランクがあって、「冬瓜のスープ」「煮物」「数種類の野菜と豚バラ肉に椎茸を加えにんにく・しょうがと香辛料で炒めたもの」などは上位だが、「もやしを塩胡椒で炒めただけ」などのがっかりメニューですら食べたくて仕方がなくなるのである。
「もやしを塩胡椒で炒めただけ」については、僕がもやしを買ってきて塩胡椒で炒めても作れないのである。不思議だ、実に不思議だ。
僕の料理は最悪である。茹でるだけのラーメンが不味すぎて捨てたこともあった。牛丼も捨てた。スパゲッティは何度作っても不味くて食べている途中で嫌気がさす。出前でとったパック寿司はかろうじて美味しい。
料理は偉大な営みである。
料理人の地位は、実に様々だ。