逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

公平中立を期したらまとまりがなくなるのではないか

博士後期課程にもなって講義を1コマ取っており,レポートを今学期は3回書かないといけない(1ページ以上なので重くはないが)。
この手の(何年も学生をやっていれば,授業の雰囲気や教授のしゃべり具合から,どの程度のレポートを書けば優が来るかという見通しを立てる力がつくものだ)レポートは1時間くらいでサクッと書いてしまいたいものである。

授業を受けている時に,スライドを印刷しただけの資料に,気になった部分だけメモ書きをしておいたので,それを箇条書きにしていく。
それを眺めながら,主張を考える。
そして,その主張に沿って適当に箇条書きを並べ替えて配置する。
最後に,文章を一気に書く。

これといって書く内容が指定されていないレポートであれば,こんな感じで2000字くらいになる。


何か書くときには,何を伝えたいかを先に考えて,それに合わせて思っていることを並べ替えるという作業をする。不要なものを捨てることもある。

これは塾講師をやっているときに身につけた(誰かに言われたのではなく誰もが到達するようだ)(ちなみに卒論をやることで誰でも到達する(ただし卒論の場合は,主張とズレている実験ばかりしていることに後から気付いて絶望するというシナリオになる))。

※このダイアリーはこれといって主張がないので,どの記事も散漫としている


今日,そのレポートを出した授業を受けていて,教授が「○○を叩くためにテレビが取材に来たけど我々は真面目にやっていたので結局写らなかった」という趣旨の発言をしていた。
それで,ちょっと思ったのが,テレビに対して,公正中立を叫ぶ人は多いよなということだ(僕も叫んでいた)。

何かひとつ番組を作ろうとしたら,どうなるだろう。作ったことはないが,僕ならこうするだろう。

まず,テーマを決める。
次に,軽く調査をして,主張を定める。
その主張のサポートを探して取材をする。
まとめて映像にする。

これをやると結論ありきになる。当然である。
結論とズレることは外さないと,散漫として,何が言いたいのか分からなくなる。

事実をありのままに伝えるという立場を取るならば,「何も言ってはいけない」ので,何が言いたいのか分からないのが正当だが,そんな番組10分も見ていられないのではないだろうか。多分ポプテピピックみたいになる。

例えば,東日本大震災から7年,を特集する。
・震災の映像で概要を振り返る
津波の被害が甚大
・そもそも津波ってなんで起こるんだっけ?→解説
原発事故
・事故当時の民主党政権の対応
・脱・原発運動
・現在の政権下での対応
風評被害
風評被害ではなくて実際に危険だという意見もある
・なんなら,地震すらアメリカの陰謀なのだ(コシミズ)
・核実験のせいで震災は起こったという意見もある
・過去に津波が来たという記録を忘れていたのがいけないのではないか,という話もある
・未だに避難している人がいる
・未だに復興は進んでいない
・復興が進んでいるところもある
・そういえばサンドウィッチマン福島県で精力的に活動していたなあ

こんな感じで思いついたものを全部つなげることで,公平中立な番組が作れる。

開始→陰謀論の映像「3.11は人工地震だった!!」→サンドウィッチマンのコント→津波の映像→脱・原発デモの映像→復興住宅取材→菅直人首相の対応を振り返る→福島県産農産物の安全性アピール→津波がなぜ起こるのか,地震専門家に聞く→復興庁に取材→終わり

読者諸氏におかれては,映像をなるべくリアルに思い浮かべてこの順番で脳内再生してみて欲しい。多分サンドウィッチマンのコントを久しぶりに見ようとYouTubeを開くことになるだろう。