死んで詫びることはできるか
10万円のカメラを盗まれたら現金で10万円支払ってもらうことで一応の埋め合わせにはなる。
「命を奪う」という表現が嫌いだ。奪っても自分の物にならないからだ。奪うのではなく破壊である。元に戻らない。
人殺しは自分の命でもって償うという発想があるが、昔から理解できないでいる。
不可逆性によって、他の物での代替ができないということが念頭にあるのだろうか。しかし、命Aによって命Bを置き換えることはできないのは言うまでもない。
要するに、2人の人間が死ぬだけである。その順序だけが大きく問題視される(後から死んだ方が悪、という発想である)が、マクロで見た時には何の意味も無い。
「同害報復」という言葉を知ったのは最近である。これも無意味である。被害がちょうど2倍になるだけだからである。
この言葉をちょっとひねったら、10年来のモヤモヤが消えた。
てんとう虫コミックス14巻(藤子・F・不二雄大全集の場合はドラえもん4)にこういう話がある。
かみ終わったガムを道路に吐き出すのび太に対し、ジャイアンが言う。
つみほろぼしにほかのところをそうじしろ。
画期的である。
同害回復とでも呼ぶべきだろうか。
10人殺した人間は、死にかけの10人を救うべきである。