逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

Cookie Clickerに新しい建物が追加された

Cookie Clickerを始めて5年ちょっと。一度データが吹っ飛んだものの,細々と続けている。今回追加されたのはFractal engineである。クッキーのハウスドルフ次元を計算するのである。フラクタル図形といえば,2008年のスーパーサイエンスハイスクール生徒研究発表会で「この図形はR(Rには実数が入っていた)次元で~」などと発表している人たちがいたところ,質疑で「次元が小数ってどういうことなんですか?2次元とか3次元なら分かるんですが」と質問があり,発表者が全く答えられておらず(彼女らは「そういうものだ」と思っていたのではないかと当時の僕は思った)やりとりを司会にとめられるという光景を思い出すのだ。

今月上旬のことだが,家の周りをうろうろしていると,国立公文書館があった。一度行ってみたかったので入ってみると,「平成30年秋の特別展 明治150年記念「躍動する明治-近代日本の幕開け-」」なる企画展をやっていた。

1889年~1932年の東京に大変興味のある僕にピッタリの企画である。明治がどうのこうの言ったってそれは東京の歴史でしかないからである(暴論)。

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国立公文書館所蔵の史料は写真を撮って良いのだが,他から借りてきた史料は撮れない(省庁の史料もダメ)。

用箋が太政官から内閣に変わったり,色々な法律の推敲が見られたり,興味深い展示であった。

我が国の政府は公文書の価値を分かっていないので,今後公文書が残されることも減っていく。こうやってのんきに展示が見られるのも平成の間だけではないだろうか。

 

ベトナム人の英語が聞き取れない

大学教員の国際的人脈は,やってくる留学生によって測れるかもしれない。「よく来る」ところは大体教員同士が繋がっている。

僕のいる研究室は,1年のうち半分以上,1人はベトナム人がいる。誰かが帰ったと思えば,また誰かがやってくる。

僕が研究室に入ってから,これまで(多分)3人のベトナム人と滞在期間が被っている。そして,3人とも何を言っているのかサッパリ分からなかった。

一般に,英語でのコミュニケーションに難がある原因はたくさんある。文法が怪しいというところから始まり,単語が分からない,速くて聞き取れない,頭での処理が追いつかない,発音が悪い,耳が悪い(聴力の問題ではない),等々。

特にベトナム人の英語に対して苦手意識(苦手意識というと悲観的な感じがするが,言語学徒としては面白いので楽しんでいる)を決定的に持ったのは,

  • 1つの単語だけを
  • ゆっくり
  • 何回も

繰り返して発話してもらっても全く聞き取れず,こちらが同じことをしても全く聞き取ってもらえなかったからである。間違いなくこれは日本語とベトナム語の相性が悪い。

「訛っている同士で聞き取れない」と文句を垂れて終わるのではとても高等教育を受けた人間とは言えないので,自分なりに分析をする(プロパーな言語学徒であればたくさん手法を持っているに違いないが僕はそうではないのでそうではなかった)。

 

 

 観察してみると面白い。やはり一定の法則がある。

例えば,expressionという単語は,/espresn/と発音され(ここでのIPAは英語の音素),distributionという単語は/ditribjusn/という感じである。

音が落ちたり他の音になってしまうわけだが,ネイティブや印欧語母語話者にして英語がかなりできる人とは難なくコミュニケーションが取れているのである。

つまり,英語にとってtrivialな脱落であり,変化であるということだ。そして,日本語にとって重大な脱落・変化ということになる。

僕の感覚でしかないが(文献を示せる方はコメント欄に示して欲しい),日本語話者は母音が苦手だ。母音が違っているために話が通じないことはよくあるし,聞き間違えることもある。逆に,子音にとてもこだわりがあると思う。

そこに,英語が音節言語であるのに対し,日本語がモーラ言語であることが加わると,次のようなことが起こっているのではないか(全然違う,これこれこういう学説が主流だ,ということがあれば指摘して欲しい)。

例えば,expressionという単語は3音節である。従って,ex/pres/sionの3パーツの音がそれぞれとりあえず鳴っていれば聞き取ってもらえる。故に,exがeだけになっても別に良い(多分,「エプレスン」でも通じる)。

日本語話者の場合,3重子音・4重子音だと頭で分かっていても無理矢理分けてしまって,e/k/s/p/re/ssio/nという7つのパーツからなる単語であると脳内lexiconに記述されている。故に,kの音が落ちるだけで6パーツの単語になってしまうため,何の単語なのかサッパリ分からない。

この仮説に従えば,聞き取るためには抜け落ちた音を戻してやり,変化した音を戻してやれば聞き取れることになる。

そこで,最近はそのルールを自分の中に構築しようと試みている。

スライドと一緒に喋ってもらうと最高で,どの音がどうなったのかよく分かる。

最初の1文字目の音が落ちることもしばしば。bとpも曖昧で,paperって言ってるらしいのに/beba/にしか聞こえず5回聞き返した。phraseという単語は/bra/である(どちらも1音節なので印欧語族の皆さんには通じている...)。

こうした現象から復元ルールをいくつか作ったが,それだけで劇的に会話が成り立つようになった。とても面白い。

 

さて,

  • 訛っていようが関係なくガンガン話していく皆さん
  • きれいな英語は誰が聞いても聞き取りやすい

という2つの経験的事実によって,僕の中では,「片仮名英語でもなんでもどんどん話していけば良い」という考えと「発音は徹底的にこだわって練習していく」という考えが対立せず共存している。

ドイツ語圏やフランス語圏という,アジアから見ればよっぽど英語圏に近い世界の出身者でも,英語が下手な場合があり,アジア人がびっくりするくらい流暢にしゃべっていることもある。要するに発音は本人の興味と努力によるのである。

この興味というのが問題だ。今でも忘れないのが,中学の時,クラスに「borrowがボロウなのかバロウなのか分からんどっちだ」と発言している人がいて,多分どっちでもないんだろうなと思ったことである。それから6年を経て,発音の教科書を読みながら,/ʌ/, /ɑ/, /æ/を発音してみて,「おーそれっぽい!」と感動を覚えたのであった。

2円を得るために20円損した話

東京に来て6年半,一度も人とこの話をしたことがないので,恐らくあまりにも当たり前でわざわざ話題にするには口を動かすエネルギーがもったいないとされていると推定されるのが,私鉄・地下鉄各社の乗り継ぎ割引である。

僕がこれを知ったのは,随分最近のことなのだが,非常に多くのことに気がつく性格なので,気付いてはいたのである。

乗継割引運賃制度は,ちょっとしか乗らないのに会社を跨ぐせいで初乗り運賃が2回かかってしまう場合に適用される場合がほとんどだ。

例えば,代々木公園から代々木上原,下北沢を経て池ノ上まで乗車したとする。駅の数で言えば4駅である。距離にして3キロメートル。まともにやると,代々木公園~代々木上原が165円(初乗り),代々木上原から下北沢が124円(初乗り),下北沢から池ノ上が124円(初乗り)で,413円かかるところ,実際には393円しかかからない。

これは,代々木公園~下北沢で20円割引代々木上原~池ノ上で20円割引が設定されているためである。そして,割引区間は重複しないという規定によって,最も安くなる方が適用される。

 

さて,ここで鉄道の様々な規定を知ることに喜びを覚える人間でなければ,値引かれるのに不満はないのだから,以上のようなルールを知っておく必要は無く,値引かれるべき時に値引かれれば良いと思うのは自然である。

僕は,あらゆるポイント類を駆使して生活するタイプの人間だが,この場合であっても,自動的に割引が適用されてしまうのであるから,やはり何かを考える必要が無いように思うかもしれない(ただし,都営地下鉄東京メトロの70円引き乗り継ぎについては石原慎太郎によってもたらされた恩恵でありテレビ等でも話題になったため多くの都民が意識している)。

ところが,僕は電車に乗るときにSuicaPASMOを使い分けているのである。

東京メトロに乗車する際は,PASMOを使う。すると,平日であれば10円引きで乗れる。休日は20円引きだ。しかしクレジットカードの還元率は0.5%なので,メトロ以外の電車に乗る理由がない。

Suicaは1.5%還元であるから,メトロ以外ならばSuicaで乗った方が良い。

 

以上を踏まえて今日の日記を書く。

 

所用で早稲田から下落合に行かねばならなかった。

早稲田から高田馬場までは当然PASMOを利用した。

そして,乗換のタイミングで,西武線なのでSuicaを使わないとと思ってSuicaをタッチしたのだ。そしてその瞬間に,「あっ,待てよ1駅1駅だから乗り継ぎ割引あるんじゃないか」と思い出してしまったのである。

調べてみると案の定,20円引きが設定されていた。片道309円の運賃の20円引きであるから,6.47%の還元率である。日経平均の続落と言っても,今日は3%下落,昨日も4%下落である。6%なんてとんでもない数字だ。

げんなりである。

 

なお,高田馬場から下落合までは徒歩15分である。

オーバーロード

オーバーロードとは,名前が同じである複数の関数等において,引数等の型や個数によって処理を分岐できる仕組みのことである。

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Googleという関数に"オーバーロード"なる文字列を渡したつもりだったが,特に型を指定しなかったので,暗黙のうちに「ライトノベルの名称」という型であると解釈されて検索が実行されてしまった。こういうのをエンティティの型付け,entity typing,またその対象を型付きエンティティ,typed entityという。

 

New York, London, Paris, Munich

Amazon Echoを購入して3ヶ月が経つ。現在の用途は専ら3つに絞られる。1つは,今日の気温を聞くためのデバイスとして。そして,音楽を垂れ流すためのデバイスとして。3つ目は,部屋の電気を付けたり消したりするデバイスとしてである。

家のエアコンをなんとかして遠隔操作したいという思いがあり,急いで赤外線を発出する機械を買ったのだが,なんとダイキンの古いエアコンは特殊な赤外線を使っており,学習しても使えないのである。リモコン番号でいうARC424A1である。最悪だ。このアパートは慈善事業ではなくてただの不動産投資の賜物なので,設備はゴミに近い。引っ越す前のアパートは慈善事業だったので,入居時(2012年)には2011年製のエアコンが装備されており,2017年には2017年製のエアコンに交換してもらった。いずれもダイキンである。新しいダイキンのリモコンは汎用リモコン対応であるようだから,使えた可能性があるが,現在の居室のエアコンはダメであった。

大変悔しいので,リモコンのボタンを機械的に押すデバイスを開発しそれを遠隔操作できるようにするだけの時間がないことを思いつつ,部屋の電気を付けたり消したりできるようにした。毎日Alexaに"Turn off the light"などと呼びかけている。

さて,僕は洋楽を聴くことが多いので,Alexaの言語設定を英語にしている。さもないと,片仮名英語で曲名を言わなければならないからだ。ところが,これはこれでやっかいなのである。


M - Pop Muzik (12" Mix) (HD 16:9)

世界を席巻したPop Muzik――僕の10代のテーマ曲である。実際,10歳から15歳まで毎朝この曲を目覚ましにしていた。

"Alexa, play pop muzik"

"Music station for pop music on Amazon Music"

"Nooooooooooooooo"

「ポップ・ミューヂック(邦題)」をかけて欲しいのにポップミュージックが流れてしまう。

そこでアーティスト名を指定する。

"Alexa, play pop muzik by M"

"Here is music station for pop music on Amazon Music"

"Nooooooooooooooo"

話にならない。

そこで,アルバムごとかければなんとかなると考え,アルバム名"New York-London-Paris-Munich"をかけてもらう。

"Alexa, play New York-London-Paris-Munich"

"New York London Paris Chicago by Disco Fever starting now on Amazon Music"

"???????????????"

 

?????

 

???

 

?????

 

¿¿¿¿¿?????

 

¿?¿?¿?¿?¿?

 

 

試行錯誤の上,Amazon Echo不燃ゴミとして廃棄するのが適切であることが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

"Alexa, play an album of New York-London-Paris-Munich"

"New York London Paris Munich by M and on Amazon Music"

 

おお!かかった!万歳!

 

ゴミ収集車から軽快なメロディを奏でながらAlexaは旅立っていった。

 

ドナドナド~ナド~ナ~


みんなのうた「ドナドナ」

役に立つ・立たない論争

何年か前まで,張り切って役に立つ・立たない論争に参加していた(参加と言っても,インタネットの時代,特定のテーマで意見を述べるだけで,誰かが聞いていなくとも参加したことになる)が,最近は馬鹿馬鹿しくて放置している。そんなことを考えている時間があったら,皆,目の前の課題に取り組むべきなのだ。

ただ,考えるのを止めるということはできない性分なので,色々な意見を目にしては頭に蓄えているのだけれど,ちょっと考えがまとまったので書くことにした。

役に立つ・立たない論争とは

主に学術研究の文脈で語られる。ある研究テーマがあったときに,それを遂行し,得られるであろう結果が,何かの役に立つか立たないか,という問題である。

色々な人が好きなように語っているので,二択問題でありながらも実は多様な意見がある。

役に立つ,とは?

最も一般的で広く受け入れられているのは,直ちにお金儲けができることである。

ややせまく,技術者を含めた専門家の一部または全部で受け入れられているのは,技術的に重要な課題の解決につながることである。「これが実現すればあの問題もこの問題も解決する!」といった感じである。ただ,「あの問題」や「この問題」の重要性は一般人や分野外の人には分からないのである。

最も狭いのは,どの分野のどの問題かは分からないが,その解決につながりそうな感じのすることである。「○○の性質を明らかにした」みたいな話である。

役に立たなくてもよい?

役に立つべきだ,という立場の人も上の3通りの立場に分かれるが,さらに役に立つ必要がないという立場の人もいる。

これにも2つあり,1つは,本当に役に立たない,つまり学問の進展にすら寄与しない場合(問題Aが解けると問題Bが解け,さらに問題Bが解けることによって問題Cが解ける,という場合に問題Aを解くとして,そもそも問題Bや問題Cを解くことがあまり意味をなさない場合)も重視する派と,いやいや,学者・研究者というのは,学問の進展に寄与しない,やっても意味のなさそうなことはやらないものだ,という立場が考えられる。

で,どうあるべきなのか

知らん。好きな立場を取れば良い。税金を使って研究をしている以上ステークホルダーに説明責任がある,というのも一理あるし,偉大な発見は偶発的に起こるかもしれないからあれこれ事前に絞り込むべきではない,というのも一理ある。

言いたいこと

役に立つことが分かっている研究は,取り組んだ時点で手遅れである。

これはもう,当たり前である。役に立つと分かっているのであれば皆取り組んでいるし,最も広義の「役に立つ」研究であれば,金になるのだから企業がこぞって投資しているので,やはり手遅れである。

役に立つと分かった段階で既に研究が何段階も進んでおり,第一人者となっていることが重要だ。

インターネットで研究について調べる能力も乏しい学部生くらいだと,世の中の役に立っている技術に憧れて,研究テーマにしたがる場合が多い。殆どの場合,指導教員,いやその手前で博士課程の院生に「それはもう大変になってきちゃったからやめといた方が良いよ」と言われてしまうのである。たいていの場合,開発としては立派だが,研究にならないのである。

研究と開発の違い,というのは頻繁に話題になるが,とくに計算機科学や情報工学の分野だと境目は曖昧だ。僕が使っている指標は,「どうやれば実現できるか見通しが立つかどうか」である。

どうやれば良いのかサッパリ分からないのが研究テーマになりうる。僕も日々困っている。指導教員とのミーティングで頭を整理することはできるが,どうしたら良いのかは僕も教員も分からないのだ。大概,「さあ」「どうでしょうね」「やってみないと分かりませんね」という発言の応酬に終始する。

研究力が高まってくると,自明でない解決方法であってもなんとなく見通しが立てられるようになるらしいが...(でないとグラントの書類は書けない(と,言いたいところだが,グラントの書類は「既に終わった研究」について書くと言われているし,その通りであると感じている(実際には,全く真っ白の研究というのはあまりなくて,ある程度自力で進めて,面白そうな結果が見えてきたところで書類を書くのである。そうすると,ある程度結果が見えてきているので,その先の計画も立てやすいのだ;多分,博士課程の間に「ある程度自力で進め」ないと,常に金欠になるのではないか)))

「データをとってきて,頑張って前処理して,○○にぶち込んで,パラメタいじればまあできるっしょ」という感じのは研究とは言わない。日曜大工という言葉がピッタリだ。

ところで,僕は今,とても役に立つ研究をやっている。やる前から役に立つことは明らかであった。手遅れであったか,とんでもない。難しすぎて誰も手を付けていない問題に手を出してしまったのであった。これはこれで地獄である。

大学院生活5年(5年で修了できますように)も折り返しである。

映画

9月10日には映画に行くと決まっている(参照)。

「午前十時の映画祭9」という企画で,どうやら古い名作映画を短い期間で色々上映しているらしい。そこで,「プラトーン」という映画を観た。

前日の夜にインターネットで席を予約したのだが,その時は,一般1,100円と,あとは高校生と中学生しかなかったように見えて,そのまま1,100円支払ったのだが,今日映画館で映画の前の宣伝を観ていると,学生500円と書いてあるではないか。やられた。映画1本観るのに学生料金だと1,500円が普通だが,既に安かったので気にもとめなかった。それが500円で観られるものに1,100円支払ったとなると,腹の底から沸き上がる感情を抑えるのが難しくなってきたので,今日という特別な日を台無しにしないよう,この映画は1,100円の価値があるんだと自分に言い聞かせていた。

それに,前回映画を観たときと同じで,500円のキャッシュバック目的なのだから,600円で観るのと同じであるし,なんなら500円で映画を観てしまったらキャッシュバックの規定額である3000円に達しないのだから,結果オーライなのだ。

それに,今日はとても気分が良い。平日朝10時の映画だ。座席はガラガラではないが,ど真ん中のシートなのに隣席が空いている。しかも,朝早く起きることに成功しているのだ。時差ぼけのおかげで,最近は0時前に眠くなり,朝は6時半に目が覚める。なんと理想的な生活なんだ。忘れもしない,2014年の10月1日には,11時45分からの映画に夜ふかししすぎて朝起きられず,1,100円パーにしたではないか。

そういえばあの頃は,ジェイソン・ステイサムをえらく気に入って,毎晩日が昇るまで彼の出演している映画を片っ端から観ていたっけ。それに今日の映画は,80年代の映画だ。レンタルビデオ屋だって100円で貸しているだろうし,NetflixAmazonプライムで配信しているかもしれないのだ。それをわざわざ映画館の大きなスクリーンで観たいからって金を払ってきたのだから,500円も1,100円も変わりない。

もっと言えば,往復交通費が330円かかっている。500円の出費のために330円払うのは僕の好きなやり方じゃない。

行ってみたいラーメン屋がたくさんあるのだが,往復交通費が300円~400円かかるため,どうも行く気になれないのである。これが居酒屋やレストランなら平気で向かうんだけど。札幌ラーメンを食べるためだけに当日のチケットで北海道を往復する骨川家のようにはいかない。のび太もラーメンをうらやましがるのではなく,北海道に行ったことをうらやましがるべきだ。彼はおばさんが北海道に住んでいるのだから,行く口実もないわけではないだろうに。

実にどうでも良くなってきた。

やっと冷静さを取り戻した頃,プラトーンという映画のエンドロールを観ることに成功した。