完成シリーズスタート
心折れる予備校生活が再び始まった。
生まれて初めて授業のあった日に数学の復習とやらをやってみた。
英文解釈Tは英文読解Tと名前を変えたけど、少なくとも2講目までは容易い。どうもあのテキストは京大を意識している気がする。
数学の講師曰く『完成シリーズになってもできるようになった気はしない。新しいことをやっている感じもしない。でも解けるようにはなる』
ご本人が河合浪人時代に実感したことだそうで。
古文漢文は相変わらず。ただ東大の過去問がかなり多い。東大よりも難しい問題も散見されると昨日書いたが、それは難化した時のためだそうだ。漢文は解答を配らないことになっているらしい。仮にも東大受験生が解答など見てはいけないんだと。
今日は帰りの電車の中で、大学・大学院6年間でいかに金儲けするかを考えていた。
アルバイトは極力避けたい。時間を取られるからだ。望ましいのは広告収入などの、働いていない時間帯に収益が発生するもの(初期投資は必要だが)。
結局思いつかなかった。
私大や後期の大学を決めかねている。
僕がガチガチ理系なら、早/慶+阪大or東北、また文転したいのなら、早稲田政経+一橋などと決められるが、
僕はどちらでも無い。
将来的に就職という形になる可能性を視野に入れたとき、極端に選択肢が限られる大学選択を強いられるのだ。
もしも理系で就職となれば、開発職・研究職がいい。すると、修士以上は必須。しかも理学研究科か工学研究科。できれば機械工学電気工学(もちろんこれは自分の興味関心の範囲内で選ぶが)。ただ理系畑で暮らせる自信は無い。これは高校の部活で痛いほど思い知らされた。
僕は中学のころから経営学をやりたくて、だがそっちにすすむと、途中で文系よりになる。理系の就職は不可能になる。
僕は地元で暮らしたい。転勤は嫌だ。だから商社には入れない。とにかく就職するなら本社勤務でなければならない。
大学はキャリア形成おいて決定的な影響をもたらすべきである。
もし、大学と職業が結びつかず、結局何の役にも立たないとなれば、それは不幸だ。
(だからといって大学にその結び付けを要求するのではない。もし要求すれば、それは大学の就職予備校化である。僕が言いたいのは、応用力である)
make differenceという表現を、高校に入って1年生の時、訳せなかった。変化を生じるとはどういうことなのだろうか?そんなことを思いながら授業に臨んだ。
台風が近づいている。