逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

人の話を聞くことは極めて高度で常人には終ぞできないこと

ここ数年,学校でのあれこれがTwitterをはじめテレビまで巻き込んで問題になることが目立っている。具体的には,例えば,かけ算の順序問題,それから,漢字の書き取りテスト等である。これらは,ひっくるめて,超算数とか,超国語と呼ばれているようだ。

大方,学校がおかしいという論調であるし,その学術的または政策的根拠も示されているので,理解できる。そして本稿では各問題の実質的議論には立ち入らない。なぜなら,これら一連の問題は学校の教授法云々以前にもっと大きな問題を抱えているからである。

僕が「かけ算の順序問題」に違和感を持ったのは,自らの経験上,小学校で「かける数」と「かけられる数」という表現で教わったことは明確に覚えているものの,これが問題となってテストで減点されたことがないからである。なぜ減点されなかったか。教員が数学的に同等のものであり減点する余地がないとみなしたからだろうか。多分違う。かける数とかけられる数の順番を「正しく」答案に書いたからである。

漢字テストの件も同様である。漢字テストで,はねやとめ,はらいで×になったことがない。なぜならその通りに書いているからである。

逆に,どうしてこうした問題を提起してしまうような答案が発生するのかを考えたい。まず,かけ算の順序であるが,小学校でかけ算を習うときに順序と一緒に教わるので,その通りにやればテストで「順序を間違える」ことはない。次に漢字の書き取りであるが,小学校では筆順まで丁寧に教えてくれるので,筆順からなにから教わったとおりに書くことになる。よってテストでとめやはらいで減点されることはない。

尤も,そもそも立式を間違えることはあるし,違う漢字を書いてしまうことはある。しかしながら,これは同種の間違いではない。算数においては,文章題を解釈するという頭を使う部分と,式を書くという手続の部分があるが,手続は決められたとおりにやるだけであり,難しさはない。漢字も,何を書くかは理解を必要とするが,文字を書くのは単なる手続である。

従って,大議論を呼び起こしているのは,主に手続の過誤である。実質が正しいのだから,手続は不問にしろということである。なお本稿では先述の通りこの善し悪しについては立ち入らない。

問題は,なぜ,手続の過誤を起こす児童生徒がいるのかである。簡単に言えば,言われたとおりの手順が踏めないということである。これにはいくつかの可能性がある。まず,学校以外の場所で異なる手続を学んだ場合である。例えば,塾に通っていて,かけ算の問題について異なる知見を得た場合や,街中で見かけるゴシック体やポップ体の文字を見て漢字を覚えた場合である。これなら特に問題は無い。次に,完全に理解しているものの,自らの思想上,異なる手続を取りたい場合である。例えば,「絶対に小さい数×大きい数と書きたい」とか,「漢字は篆書体に限る」等である。これも,分かってやっているのだから問題ないのだが,わざわざテストで減点される方法を採っているのだから,擁護できない。3つ目が問題である。それは,学校で教員の言っていることが理解できない場合である。「手偏は撥ねますよ」と言われても,何を言っているのか理解できないということである。あるいは黒板に手偏が書かれて,「ここが撥ねています」と説明されても,何ら知識として落とし込めないということである。これは本当に深刻である。そして思ったより多くの人が,いや,大多数がこの状況にあるものと思われる。小学校1・2年生水準の手続を満足に教わることができないまま,成長すると,例えばセンター試験で再三の指示があったにもかかわらず受験番号をマークしないというようなことが起こるのだろう。

言われたことができるということは一般的に高い能力を示すが,言われたことができないというのは単に力不足ということであり,仕方ない面がある。ところが,言われたことが理解できないというのは大問題である。そういえば,塾講師をやっていたとき,よく「言ってる意味分かる?」と聞いたものだ。高校生にもなれば抽象的な説明も増えるが,手偏が撥ねることも理解できないのならば,やるだけ時間の無駄であった。

ペットボトルのラベルを剥がさないで捨てて良い自治体は殆どないが,お構いなしにゴミ集積所に出されるのも,日本語の意味が分からないからである。押しても信号が変わるわけではないのに,視覚障害者用のボタンを押すのも,そこに書かれている日本語の意味が分からないからである。料理のレシピは悲惨なのではないか。あれこそ量と順番が極めて重要であるが,おそらく半分も理解されていないだろう。レシピ通りにやっているのに上手く料理が作れない人がいたら,小学校の算数のテストを押し入れから引っ張り出してくるよう勧めたいものだ。