逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

東京オリンピックは2020年に開催されたことにすれば良い

 スポーツに興味のない僕でさえ気になるほど国中を通常よりも長く沸かせているのが東京オリンピックである。もはや数人を除いて誰もできるとは思っていないが,やるかやらないか,できるかできないかという議論自体が不毛である。最も良い方法は,2020年に計画通り開催したことにするというものである。

 オリンピックを開催したかどうかというのは,最終的には開催したかどうかではなく,その記録の有無によってのみ判定される。逆に言えば,オリンピックを開催したとしても,誰も記録を取っていなければ開催していないのと同じである。

 これだけ事態がややこしくなったいま,開催したことにするという選択肢が最も問題が少なくてすむ。映像や新聞記事などは今からつじつまの合うように作れば良い。記録についても同様である。メダルも統計によって配分するか,民主的に受賞者を決めれば良い。メダルを受け取る選手は,自分の記録だとは微塵も感じないだろうし,そのことを全世界の人々が知っているのだから,誰も何とも思わない。メダルを受け取らない選手もまた,悔しくもなんともない。ただ誰にせよ,東京五輪は開催されたものとして公的には発言をする。

 オリンピックに商売上の期待をしていた人々の期待は既に裏切られているので,今更開催されたことにしてもさらなる害はない。現地でオリンピックを観戦することを願っていた人たちの期待も同様である。

 それどころか,本来もう始まっているはずだったbeyond2020プログラムに移行できるという利点がある。オリンピック景気日経平均バブル崩壊後の最高値を更新した(驚くべきことに,株式市場だけはオリンピックが開催されたものとして動いている。やはり株式市場は常に正しい(ジョージ・ソロス)のだ)。

 100年後,今を生きた人が誰ひとりいなくなったとき,これだけ記録が残っているのだから東京オリンピックは開催されたのだと思ってもらえるだろう。尤も,そんなことが話題になることはない。今日1920年アントワープ大会のことを思う人がいないのと同様である(クジラ構文)。そして,「東京オリンピックは開催されなかった」という命題は「アポロ11号は月面に着陸していない」という疑惑と全く同様の扱いを受けるだろう。

 

 「空気のない国立競技場で国旗がゆらゆら揺れていますね,これはおかしい,合成映像でしょう!!」