歴史の1ページを生きる
今年は何をどう述べようにも新型コロナの話は避けられない。だが,外出はできないし人と会うこともままならないという状況であったから,具体的な部分ではあまり面白みも無い。
歴史の教科書に載るような事件の当事者はどのような気持ちだったのだろうかといつも思っていた。要約されているということもあって,激動の時代という印象をいつの歴史であれ受けてしまう。こんなにめまぐるしく変わる時代に生きていた人々はどう思っていたのだろうかと思いを馳せていた。その一方で,今もまたいつかは歴史となるのであって,当時の人々も何でもない毎日を送っていたのかと想像していたこともあった。
3.11は当事者というほどでもなかったが,今回の疫病騒ぎは世界中の人々がもれなく当事者である。前回は100年前とも言われる世界的パンデミック(「パンデミック」に世界的という意味が含まれるのでこの表現はダメ(一部地域の疫病はendemicという))だ。人類の歴史に刻まれることは間違いなかろう。そういう意味でワクワクしている。これが歴史的な変革なのだと。今色々と強いられている様々なことは,その大転換点にいる故のものであると。従って,色々と文句を言っている人に対して,まあまあ歴史が変わる瞬間なのだから文句を言っていないで楽しめと言いたくなる一方で,文句を言うということもまた重要な事象だと思って静観している。
年始早々中国で新型肺炎が発生したとニュースになったが,大半の人は興味が無かった。1月半ばにはクルーズ船で感染者が大量に発生した。2月になると,国内でも感染が見られるようになった。学校を根拠無く休校に追い込むなどしていたが,この時はまだ手続の正しさを重視していた。いかにもアジアの感染症といった感じで,5月のLRECに行けるのかどうかと心配していたが,今度はイタリアで爆発的に感染が拡大し,ほどなくしてアメリカ,フランス,グレートブリテン及び北アイルランド連合王国と,もはや北半球の感染症といった様相となった。日本でも世論は二分され続けた。人命最重視という立場と,経済活動重視という立場と,その2つは対立しないという立場である(あれ,3つだな)。意思決定をするという政治の重要性が身に染みたと言わざるを得ない。
3月の段階でヨーロッパが壊滅となり,これはもう無理だと思った。
年内終息はないと見て行動します
— ⃰நீப்பொ(飛躍と転換2021™) (@nipox25) 2020年4月10日
東京にいる理由がなくなったから,このタイミングで帰郷した。この時はかなり徹底した。公共交通機関を使わず,実家でも離れに住んで自主隔離していた。年内収束どころか,来年決着するかも分からなくなってしまった。
3月からパスタを作り始めた。実家に帰るまでの1ヶ月は3食パスタで,その後は昼食がパスタだった。色々なパスタブランドを試した。玉ねぎのみじん切りが上達した。
クラリネットを買った。一応音は出るようになった。指をまだ覚え切れていない。
お酒が減った。元々家で飲む習慣がないので,外食しなくなったら直ちに酒量が減った。
困ったのは論文だった。2019年の9月以来,土日祝日も休まず研究室に通い詰め,とにかく論文を出さないとと努めてきた。在宅になっても休むことをせずにそうしてきた。国際会議の延期や中止でとんでもない量の害を被った。もともと研究室の投稿戦略が滅茶苦茶のところに,拍車がかかってしまった。おかげで最後の最後まで心が安まらず,途中でおかしくなってしまったように思う。
写真で振り返る2020年
来年も,海外渡航は無理かな・・・