逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

合格発表

3月10日は、不思議な不安感と焦燥感に煽られながら過ごした。


不合格からちょうど2年、合格からちょうど1年。


克明に覚えている。


妹が高校入試だった日だ。
朝からソワソワして、14時くらいに東大新聞のサイトで発表を見て、落ちたことを知る。
きっと現役生特有の感覚なのだろう、試験終了時からとてつもなく大きな爽快感に包まれていた。合格とか不合格とかいう次元ではなく、もう全て終わって、東大に行く気分だったのだろう。その雰囲気は家族まで巻き込んでいた。

僕はできない人間だが、自分ができないことだけはよく分かっているつもりだ。
だから、この不合格はある種予想通りでもあり、もしかしたら、いや、万が一というオーダーではなく、十が一、二、三、あるいは、受かったら奇跡、くらいに捉えていたのもまた事実だった。

それ故、落胆は家族に大きかった。


午後には切符を買い、11日は東工大の後期を受けに出かけていく。きっと受かるだろうと言う前述の気持ちを東工大にも当てはめつつも、なかばどうでも良いとさえ思っていた。それは浪人に対する絶対的拒絶と、非現実性に由来するものでもあった。

ホテルについて下見へ行く。目黒に泊まったから、東急に乗っていく。電車は急停止。14時46分。洗足で降ろされた。



1年後の僕は全く違った受け止め方をしていた。入試の手応えは決して良くなかった。数学は分からなかったし、物理も分からなかった。でも英語と国語はよく分かったし、化学もよくできたと思っていた(ただしこれはあくまで自分の時系列においてである(数学で50点取るのと宝くじで2等を当てるのはほぼ同じくらいの喜びだと言って良かった))。だから、受かるならギリギリ、なにかすれば落ちているとほぼ確信していた。

散々このダイアリーにも書いてきたように、僕は落ちることを認めていなかった。だから、急に怖くなった。

思いっきり夜更かしをしたけれど、朝9時に目が覚め、ご飯はのども通らず、やつれた顔でずっと毛布にくるまっていた。



とんでもない差である。



では、入試を終え、1年経った合格発表日は、どういう心持ちだったのか。


全部思い出していた。


特に、合格した1年前の午後を。


やはりあのときも主役は家族だった。一番喜んでくれ、一番誇りに思ってくれ、一番応援してくれた。そしてそれは無意識のうちに、強く感じていたのだろう。

そんなような感覚を思い出して、それは要するに、ここ最近苛まれていたが若干良くなってきた葛藤を再燃するものだった。


そして、初めて気づいた。


東京大学に合格するというのは、とても難しいことだし、それをぎりぎりながらも成し遂げられた自分をもう少し評価してやっても良いのかもしれない。


僕は昔から無駄に謙虚だ。でも時にそれは優越感を生む。精神的には良い状態を作り出す。
しかし最近ではそれが逆効果を及ぼしている。


自分のできることをもっと見つめて、育ててやらねば、結局没落する。



2年もかけて、ようやくたどり着いた視点。遅い。










ん?未だに入試の話なんかして、くだらないって?





僕の中ではそれだけ大きな、大きな出来事だったということであり、大きな出来事であるということである。