リコーダーが上手に吹けないとき、リコーダーを確認する小学生。
今日もバス待ちの列に並んでいた。
バスがいつ来るか知らない。時刻表を見れば済むことだが、東京23区にあって30分待つことはないので、ただ突っ立ってバスを待つだけである。
利用者はシルバーパスが使える高齢者が殆どで、あとはその予備軍かしら、おばさんが多い。
突如列に向かって歩いてきて、抜かされたのかと思えばバス停の時刻表をじっと見つめている者、列で並んでいてしびれを切らしたのか、前に出てきて時刻表を眺める者、様々である。
今日は前者の人がいたのだが、老人である。ちょこまか動いていないで、椅子に座って待っていれば良いものを、なぜ時刻表を見るのだろうか。
どれだけバスが来るのが遅くても、そのバスに乗らなければ目的地にたどり着けないとき、時刻表を見る意味は全くない。
おばあさんに声を掛けたくなってしまった。「時刻表をいくら見たってバスの来る時刻は変わりませんよ」と。
彼らは暇なのだろうか。暇つぶしに時刻表を見るのだろうか。
バスの中で操作方法が分からないのだろう、けたたましく携帯電話の着信音を鳴らすおじいさん・おばあさんがとても多い。使えもしない機器を持ち歩いてどうするのだろうか。
意味の分からない、いや、分かりたくない行動をする人がバス停では目に付く。日陰に入りたいがために停留所から15メートルも離れた木陰に突っ立っている人が典型例だ。
最近は怒りのような感情を通り越して、決して受け入れることのできない文化圏に属する彼らの行動を見つめ、面白がるばかりである。