逆にこの時確かにそうなる。

逆に,このとき与式は確かに恒等式になる

タミル語

語学力は客観的にみて高くないのだけれど,言語によって文法が違うのが面白くて,外国語の授業をつまむようにたくさん取ってきた。
教養前期課程では,第二外国語スペイン語(話者数が多いので決めた),第三外国語として,イタリア語(スペイン語と同じラテン系だから),トルコ語(印欧語ではない言葉に触れたかった)の授業を取った。
イタリア語は,スペイン語よりも冠詞の数が多く,また複数形のパターンが多いので,中途半端に語彙や活用が被るスペイン語と相まって間違える間違える,楽しくてしかたがなかった。
トルコ語は,母音調和を楽しんだ。後ろにどんどんくっつけていく膠着語の外国語を学ぶのは初めてだったので大変愉快であった。

もっと勉強すればもっと面白いのだけど,語学はそんなに甘いものではないし,他の言葉を見てみたいという興味が勝ってしまうのであった。

教養後期課程に入って,ヘブライ語の授業を取っていた(次はセム語族だ!と勢い込んだ)あたりから,タミル語が気になりだした。タミル文字がかわいいからである。他に理由はなかった。

タミル語の話者は7000万人でイタリア語やフランス語と比較しても良いくらいだが,日本語の入門書は3冊しかないし,あまり注目されていないように感じる。大体,インドと言えばヒンディー語という発想の人がほとんどだ。

早速3冊の入門書を揃えたのだが,専門ではないこともあり,勉強に身が入らなかった。文法をみたいのに文字が読めない。
本郷でタミル語の授業があったのだが,ゼミ形式であることと,駒場に在籍していたこともあって,耐えられないと思い取らなかった。

結局2年間タミル語を勉強することはなく,もっと言えば外国語から遠ざかっていた。


大学院に入って,シラバスを見てみても,興味のある授業がない。なんでも取ってみれば面白いものだが,研究をしたいという願望に勝るだけの興味となると難しい。

そこで当然のようにタミル語の授業を調べてみると,なんと例の教授が定年退官となり,別の講師が授業を持つことになっていた。ここで驚くべきなのは,タミル語・タミル文学の研究者自体,日本に5人もいるか分からないところ,退官して授業が潰れることもなく,別の先生がやってきたことである。


実に楽しい授業で,他の専門科目の授業には全く出席できなかったが,タミル語の授業には8割ほど出席できた。
相変わらずちっともタミル語を読んだり書いたりすることはできないが(文字は読めるようになったぞ),1年間授業を受けることができた。通年で外国語を学んだのは教養前期課程で必修だったスペイン語以来である。

研究室にタミル・ナードゥ出身の留学生がいたのもなんとなくタミル語への親近感を増した。


せっかく1年使ったのと,学部生の頃と違って時間がある(ない)ので,タミル語をこれから勉強していきたい。



あと発音ね,あれは未だによく分からない。